続いて、“本を書く人は、わたしたちとは比べられないほどえらいのだ”と信じていた須賀は、一枚の「死んだ子供の肖像」から壮大なユルスナール宇宙への旅に読者を連れ出す。宗教、錬金術、ジョルダーノ・ブルーノ、求道、異端……たゆまざる想像力の翼は果てなき空を、魂の闇をぐいぐいかきわけてゆく。

 “ちゃん”づけで呼ぶ幼友達に捧げられた深く抒情的な作品の中でも、心から人を(いと)おしむ才能に恵まれた語り手の静かで強い思いに胸動かされる「しげちゃんの昇天」。本人も折に触れて(つまび)らかにしているように執筆活動において須賀が多大な影響を受けたナタリア・ギンズブルグの友人でもあり、彼女の文学を解き明かした評論家であるチェーザレ・ガルボリ邸を訪れた際の、文字通り夢のような体験をナイーヴに高揚した口調で伝える「チェザレの家」。幼き日々の記憶を淡々とふり返り、童謡のような情感を醸す「芦屋のころ」。人生のメタファーと物語の縦糸を求めて時を越える旅を続けた、いかにも須賀らしい独白のような「となり町の山車のように」。叔父叔母たちの大掃除の畳からイタリアへ、北伊の姑の田舎からユルスナールの北フランス、はてはオデュッセウスのギリシアへと軽々とタイムスリップしてゆく随想「大洗濯の日」。大阪のクズ屋さんたちの姿を物柔らかな光のもとに描き出した異色のレクイエムともいえる「ヤマモトさんの送別会」。“長年のイタリア生活を切り上げて帰国まもないころ”の情況を象徴する奇妙な体験談「なんともちぐはぐな贈り物」。人生の紀行文は、その時どきの心情を投影しながら書き続けられた。

 ペッピーノ・リッカ宛書簡を読むと、それがまだ若い(が、若すぎるということはない)時期にいずれ夫となる相手にしたためられたことを差し引いても、須賀がまっすぐに人の心を(つか)む達人であったことがよくわかる。本質的にエッセイと変わらない読後感を抱かせるが、とりわけ夢のイメージは後年のいくつかの作品の原型となるものを髣髴(ほうふつ)とさせる。須賀は、現実の一場面や現実から触発されたイメージや“言葉の束”を意識の中に取り込み、その後もいく度となく回想し、その都度精製や再解析を加えるという、本人の言葉を借りれば“記憶の原石を絶望的なほどくりかえし磨きあげることで、燦々(さんさん)と光を放つものに仕立てあげ”るプロセスを飽くことなく続けた。そうした原風景ないし心象風景のインパクトに、現実を物語(あるいはその一節)として文学的(そう、多分にロマン主義的)に読みこなす破格の天分を備えていた須賀ならではの解釈が加味されて、あの独特の味わいを持つ文章が生まれたのだ。彼女にはみずからに与えられた物語の素材を、自身の解釈によって編纂(へんさん)し、自分の本としてもう一度書き直さなければならないという、おそらく誰もが持っているわけではない使命感があった。

2024.08.27(火)
文=岡本 太郎(ライター、翻訳家)