『コルシア書店』はあの年代の、それもはっきりと限定されたミラノに向けられた筆者の目を反映して、作品全体が鎮魂歌のような(かげ)りを帯びているが、“仲間”の一人であり、擁護者でもあった貴族の家柄のフェデリーチ夫人と、その家で開かれる夕食会での文化的なひとときを描く「夜の会話」の終盤では(“召使のサンティーナ”の闊達(かったつ)な人物像が味わい深い)、もっとも悲痛な時間帯が切りつめられた言葉で、しかしこの時も、そしてその後も決して直接的に踏み込むことなく語られる。その代わりそれは、特定の具体的な事実としてではなく、時も、場所も、主体も異なる死として、いくつもの作品の中でくり返し変奏されてゆく。

 ミラノの物語を書き上げた須賀が次に取り組んだのは、自分をヨーロッパへと旅立たせた衝動と経緯、そしてみずからの魂の検証だった。『ヴェネツィアの宿』は、初めて日本を舞台にし、圧倒的な存在感を誇る父親や普段は物静かな母親を筆頭に、幼少期の須賀が深い感銘を受けた叔父や叔母ら、魅力的な人々が登場する作品を収め、そのまま私小説として読めるほど情緒的で淀みのない筆致で綴られているとともに、ヨーロッパ編と並行して読むことで、作家の心の歩みを確認できる教養小説のような骨格を有している。

「カラが咲く庭」は、不安や孤独とささやかな安堵が行き交う留学生たちの心模様を軽やかでメランコリックな語り口で表している。思いこみが激しく、しばしば突飛な行動力を発揮する若き日の須賀の姿が浮かび上がるが、学生寮を移る際にテルミニ駅で過ごした“宙ぶらりん”状態のユーモラスな描写はほほえましい。それは絶えず人との結びつきの中にあって、いつでも心の通いあう仲間たちを持ちながら、一定の環境に帰属することを潔しとしなかった須賀が生涯抱き続けた感覚に違いない。

『ヴェネツィアの宿』の終幕を飾るのは、父親へのオマージュ「オリエント・エクスプレス」である。わがままで自分勝手でぜいたく好きな性格に憤慨させられ、反発し続けたが、何よりも旅に焦がれ、異郷に惹かれる血を受け継いだ須賀が、列車にまつわる父の二つの指令を遂行する逸話だ。遠く離れた父のロマンとともに娘は娘なりのちょっとした心の震える冒険に出るが、その時、そして無事に約束を果たし、意識が遠のきつつある父親に旅の(あかし)を持ち帰る時の、父と娘の行き交う気持ちが静かな余韻を残す名品である。

2024.08.27(火)
文=岡本 太郎(ライター、翻訳家)