本作品は、ともに「医療の軍隊」を創始しようとした森林太郎(鷗外)と北里柴三郎の、医学での業績と相互の人間的な連関とを、克明にあとづけた大作です。
本書(単行本)のあとがきにおいて、著者は「本作は、衛生学や医療に関しては『歴史其儘』、北里と鷗外の物語は『歴史離れ』と言えます。」また「これは明治の医学、特に衛生学の史伝でもあります。」と記しています。私は歴史研究者ですので、まずは史伝という耳慣れぬものについて解説しましょう。
史伝は、上梓されることが近ごろとみに少なくなっている書き物です。歴史を題材としているわけですが、歴史小説とどこが異なるのでしょうか。それは論述の根拠となる歴史資料(以下、略して史料、とする)との関わり方です。
史料にはそれぞれ確度、どれほど確からしいかのレベル、が存在し、信頼性が異なります。源平の戦いを例とすると、確度の高い順から、(1)貴族や高僧の日記、(2)鎌倉幕府の正史である『吾妻鏡』、(3)ある貴族(信濃前司行長説が有力)が資料を蒐集してまとめた『平家物語』、(4)『源平盛衰記』などの軍記物語、となります。
私たち歴史研究者は、科学者の端くれとして、検証作業に耐える歴史解釈を示さねばなりません。ですので、なるべく確度の高い史料のみを用いて、歴史像を復元したい。でも史料の残存状況に目配りしながら、(1)だけでなく(2)や(3)、時にはやむなく(4)までを参考にしてこの作業を行うわけです。
史伝を書くという営為は、基本的には歴史研究と同性格のものです。つまり、史料の確度を吟味し、信頼できる史料を以て歴史像の復元にあたるのです。ですから、史伝の書き手には、史料蒐集の努力と、史料を読み込む力量が要求されます。ところが現代の私たちは、史料を構成する漢文や古文などからどんどん縁遠くなっています。そのため、史伝が生まれにくくなっているのです。
これに対して、戦前の読書人・知識人は、漢文や古文を自在に読みこなしました。中には大学の教授先生などより、スラスラと古文書や典籍を解読する人がいたのです。そのために史伝の書き手も少なくはなかった。具体的には徳富蘇峰、山路愛山、幸田露伴。戦後に活躍した海音寺潮五郎、綱淵謙錠らの名前を挙げることができます。それに、もちろん、「史伝三部作」をもつ森鷗外。
2024.08.24(土)
文=本郷 和人(歴史学者)