でも、今、本書を閉じてみて、鷗外の一生に本当にそうした解釈をしてよいのか、私は疑問を抱かずにいられません。文芸の分野に軸足を置いて見れば、林太郎の歩んだ軌跡は「軍医の頂点を目指した。努力の結果としてそれは達成された」とのみ、認識されます。でも本書は林太郎の目標が、また彼を取り巻く環境が、そんなに単純・素朴なものではなかったことを鮮やかに示してくれています。
「医療の軍隊」を創設する。その目的は貴く、達成は困難をきわめました。林太郎は数多くの国家レベルの人材と激しく衝突し、また時に協力しながら、目的の実現のために突き進んでいきます。それは文学の分野で名声を得ることと何ら変わらない、というか、国家権力と隣接した場での切磋琢磨であったために、より一層の難事であったわけです。石黒忠悳をはじめとする妖怪じみた人間たちとの不断の闘争があってこそ、それは現実の課題になり得たのです。
私はなぜ、林太郎が白米論者だったのかが長く不思議でなりませんでした。概容を見渡せば、麦飯を採り入れたら脚気の患者が減ることくらい、彼が分からぬはずがなかった。でも彼は科学者だった。だからこそ、なぜ脚気が引き起こされるのか、納得できる理論が打ち立てられていないから、状況だけからの判断を受容できなかったのですね。阿修羅は敗北を覚悟して、帝釈天に戦いを挑みます。この点でも林太郎は、阿修羅でした。また彼は徹頭徹尾、理論を重んじる科学者だった。だからこそ、文学の分野においても、鷗外は史伝に行き着いたのかもしれません。
私は鷗外については多少の知識はもっていましたが、柴三郎については、ほとんど何も知りませんでした。でもそれがかえって良かったのかもしれません。本書は史伝として、右顧左眄せずにどっしりと構える、不動明王にも似た柴三郎の七十八年の生涯を活写しています。この記述を踏まえて、これから多くの歴史小説が誕生することでしょう。原点にして頂点。それが史伝でもあり、歴史小説でもある、本書の評価としてはふさわしいものと考えます。
奏鳴曲 北里と鷗外(文春文庫 か 50-5)
定価 1,078円(税込)
文藝春秋
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2024.08.24(土)
文=本郷 和人(歴史学者)