では、歴史小説家は史伝の書き手よりスキル的に劣っているのか。そんなことは絶対にありません。歴史小説家には膨大な構想力、想像力が必要になるからです。史伝は史料の外郭をつなぎ合わせていく。これに対して、歴史小説は史料の内側、人間の意思とか、事件と社会の関係性、とかを深掘りしていく。
有名なエピソードがあります。ある歴史研究者が小説家Aにケチを付けたそうです。「あんたたちはいいよな。史料を読まないで、好き勝手に書けるんだから。」これに対してAは言い返した。「おまえたちこそ、単純だよ。発想力も想像力もいらないものな。史料さえ読めば、書けちゃうんだから。」これは間違いかもしれませんが、Aは確か、柴田錬三郎先生だったように私は記憶しています。
贅言を費やしましたが、以上のことは、ごく簡単にまとめることができます。当たり前かもしれませんが、史伝も、歴史小説も、すぐれたものを書こうとするならば、途方もなく困難な作業が待ち受けている、ということです。
さてそこで、本書です。私は冒頭で、「大作」という言葉を用いました。これは阿諛追従ではありません。本書は医療の歩みに関しては、紛う方なき史伝です。多くの人命を救う「衛生学」の創成と発展が、緻密に記されています。また、阿修羅のように戦い続ける鷗外と、不動明王に喩えられる柴三郎の関係は、二人の人生の客観的な道程と主観的な心情が響き合う、すばらしい歴史小説として仕上がっています。二つの方法論を併せ用いながら、一つの作品を構築する。ゆえに読者は、だれもが大作であると感得するのです。
二つの方法論と言えば、それを卓越した生き方に落とし込んだ人、つまり複数の分野で傑出した成果を挙げた人をこそ、天才と呼ぶにふさわしい、と私は考えています。たとえばベンジャミン・フランクリン。彼は雷が電気であることを明らかにした物理学者・気象学者であり、印刷業で成功した実業家であり、政治家としてアメリカ独立に多大な貢献をしました。また王陽明。彼は優秀な軍人であり、政治家であり、陽明学を創始した儒学者でもありました。近代日本においては、医術を学んだ後に、すなわち科学的な思考を習得した上で、他の分野で活躍した人が少なくありません。たとえば軍政家となった大村益次郎。政治家として大きな仕事をした、本書にもしばしば登場する後藤新平。それから、全く分野の違う文学の領域を切り拓いた鷗外漁史・森林太郎。
2024.08.24(土)
文=本郷 和人(歴史学者)