良一の、関東大震災での経験は凄まじい。それはもう一夜にして人間が一変してしまうほどの体験だっただろうと想像される。良一はそれを抱えて戦争の時代を生き、戦後もそれを引きずった。「神経症」という形で。彼は戦地には行かなかったが、従軍し復員した人の多くが抱えたというPTSDに似たものを、背負うことになったんだろう。
そしてその彼の「神経症」が、彼に真実を告げさせた。「この戦争は勝てる見込みがない。断じて戦争にいくべきではない」。そんなことを、誰も口にできなかった時代に、良一に真実を語らせてしまったのは、「神経症」そのものだ。だとするならば、患ってしまったのは彼の弱さだろうか。真実を口にする者が病まざるを得ない時代に病んだのは、あるいは、一種の強さともいえるのではないだろうか。
戦後はもうすぐ八十年を迎える。
すごいことだ。終戦の年に生まれた人が八十歳になってしまう。
冒頭にも書いたが、戦争体験のある人がいなくなってしまう。
古内一絵さんはきっと、そういう状況の中で、残しておくべき物語を見つけたのだと思う。そして、丁寧に取材して、物語として紡ぎあげたのだと思う。
この小説が書かれてよかった。
しん、とした気持ちで読み終わって、そう思った。
星影さやかに(文春文庫 ふ 51-1)
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文藝春秋
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2024.08.26(月)
文=中島 京子(小説家)