しかし、丁寧に描かれる農村の日々の核となっているのは、むしろ良一の母・多嘉子や、祖父・洪庵(こうあん)のエピソードであるところがおもしろい。話は幕末や明治の初めにさかのぼっていく。
たしかに、戦時中を高齢で生きた人々にとっては、幕末はそんなに遠い時代ではなかったはずだ。二〇二四年から見れば第二次大戦終結の一九四五年は七十九年前だが、一九四五年の七十九年前は一八六六年で、明治維新まであと二年だと考えるとちょっとびっくりする。それは当時の子どもにとって、親や祖父母が生きた時代そのものなのである。
良彦にとっては、おっかなくうるさい婆さんでしかない多嘉子が、戦時中もどこか達観した態度を保ち、息子が「非国民」と後ろ指をさされても動じないのは、幕末の戦争に嫌というほど翻弄された父・洪庵の姿を、そして戦の本質を、その目で見てきたからなのだった。
こうしてみると、『星影さやかに』の登場人物たちは、多嘉子を始め、高慢な姑(しゅうとめ)によく仕えた嫁の寿子も、喜勢子(きせこ)とその夫も、良彦も美津子(みつこ)も、奥州の自然のように強い人々であると感じられる。それは血筋なのかもしれないし、豊かでありつつ厳しくもある自然と対峙しながら生きてきた人たちの持つ、芯の強さなのかもしれない。
そんな中にあって、ひとり良一だけが、病んでいる。「神経症」を患い、希死念慮(きしねんりょ)に脅かされている。
でもそれは、果たして彼の弱さなのだろうか。
良一が病むきっかけとなったエピソードを読んだとき、戦慄(せんりつ)した。もちろん、その具体的なエピソードそのものに震撼させられたのだが、同時に、いつだったか資料を漁っているときに見つけた、昭和二十一年の『文藝春秋』に掲載された徳永直(とくながすなお)の文章「追憶」を思い出したからだ。社会主義者だった徳永が、戦後ようやく、検閲に怯(おび)えることなく書くことのできた随筆だった。そこには、関東大震災直後の、朝鮮人が襲ってくるという噂がどのように伝播したか、そしてそれがどのようにデマだとわかったかが、克明に書かれていて、しかしそれは「まる廿三年が経つて」しまわなければ書けなかったことだと記されている。つまり、関東大震災から終戦までは、徳永直にとってひと続きだったのだ。真実が隠蔽されるという意味で。朝鮮人や社会主義者がいわれもなく殺される世の中になったという意味においても。戦争はまさしくその延長にあった。戦争では真実が隠される。真実を口にした者には重い制裁が科される。
2024.08.26(月)
文=中島 京子(小説家)