こうなると、さらにその正体を知りたくなる。──そして、出会うべくして出会ったのが、入江敦彦の著書というわけだった。『怖いこわい京都』ではない。この時は、まだその底本すらも出版されてはいなかった。

〈京都〉テーマのアンソロジーを実現させるまで、私の覚悟も含めて、さらに幾年もの歳月を要した。しかし、その時から──決めていたことがある。赤江瀑には必ず参加してもらうこと。そして、入江敦彦にも参加してもらい、できれば怪奇幻想小説を書いてもらうこと。まだ、お二方とも何の面識もなかった。しかも─エッセイスト入江敦彦が小説を、それも「怖いこわい」怪奇幻想小説などを書く気になるか否かなど、編集部のみならず、私じしん、その時点ではなんの確証もないことだった。ただ─氏の随筆のあちこちに見られる言葉の選び方、読書歴、引用された作家などから、この人物は、もしかすると「こちら側」の人間ではないか……という幽かな予感はあった。もちろん、その教養やセンスの高さから、入江敦彦がただものではないことは疑いようもないことだったが。こうなると、小説家としての入江敦彦が欲しい。これは、この時は、妄想に近いものだった。《異形》の編集をしている時の自分は、いつも、幾分、信長的になっている。京への侵略を試みた信長。そういえば「鳴かぬなら~ホトトギス」と、信長、秀吉、家康が詠んだあの「鳴かぬホトトギス」とは「京都人のことではないのか」と鋭い仮説を立てたのも、入江敦彦なのだった。紆余曲折の後─赤江瀑と初めての会見を果たし、では来年、執筆を……と決まった二〇〇七年の夏、単行本版『怖いこわい京都、教えます』が出版されたのである。怖いほどうれしいシンクロニシティだった。

〈京都〉をテーマに据えた《異形コレクション》第41巻『京都宵』(光文社刊)は、その翌年、九月に刊行された。そこには、赤江瀑の新作とともに、入江敦彦の怪奇幻想小説が載っている。入江敦彦は「こちら側」の人間だったのだ。氏は学生時代、やはり生粋の京都人SF作家・藤田雅矢とともに創作活動に励んでいた。その藤田雅矢もまた『京都宵』に妖しく美しいファンタジーを寄稿してくれた。

2024.08.25(日)
文=井上 雅彦(作家)