「天蓋から赤い旗が上がっている族長の家は、マーラの家から思いがけない近さにあった。形は上から見れば円、色は、冴えた月のような白である」
目をつむれば、風が吹き抜け、草のにおいが立ち、山羊が鳴く。
「牛の乳に茶葉を入れて煮た茶を頂く。新鮮な乳のなかにほのかな渋みを見つけた。よその家の味だ」
「祭壇に吊られた、深い椀を伏せたような鐘を、布を巻いた棒で打ち鳴らす。そうすることで、大地を見守っている精霊に報せているのだ」
食事風景、精霊信仰、統治の仕組みまでも臨場感をもって浮かぶ。
何よりも本作の凄みは、この世にない芸術「生き絵」を作り上げたことだ。生き絵とは草原に〈額〉という木枠を立てて、場面を描いた幕を背景に、演手が物語を織りなす一種の劇。草原が限りないからこそ、額縁で仕切られた小さな異世界は凝縮され濃いものとなる。まさに草原で生まれた芸術と言えるだろう。文字を持たない遊牧民であるから、「二度と同じものが再現出来ないということこそが、生き絵に命を吹き込む」。そんな即興性もリアリティがある。
額縁を使った芸術といえば、ヨーロッパでは十九世紀、日本でも明治時代に流行した「活人画」が連想される。扮装した人物が静止した状態で有名な絵画を再現するパフォーマンスで、ヨーロッパでは上流階級の余興として盛んに行われた。ただ、活人画は生身の人間が絵になりきっているのが面白さの核であり、生き絵とは性質が異なる。
空間を区切るという意味では、生き絵は鳥居の感覚に近いのかもしれない。鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられ、鳥居の内は神域であることを示す。たったそれだけでイマジネーションが別世界を生み出し、神聖性が高まる。生き絵が〈炎の集い〉で披露されるなど、ある種の伝統儀式のように継承されているのも納得だ。
さて、これほど丁寧に構築されたアゴールの草原世界だが、突然の災厄によって根底から揺らぐこととなる。動くものが見えなくなる奇禍。命が吹き込まれた世界を一突きで崩さんとする大胆さは、ありふれたファンタジーの枠を超える力を本作に与えている。背筋が凍える衝撃だった。
2024.08.06(火)
文=卯月 鮎(書評家)