「眼前で拳を握っては開くのを繰り返すが、見えるのは掌だけで、指先が全く目に映らない」

「犬を走らせた瞬間、千の山羊が忽然と草地に化けるのだ。まっさらな草原には、ただ、鳴き声と熱が広がっているだけ」

「留まることなく滑る青年の涙は、誰にも気付かれずに消えていく。涙の痕跡は、薄く剝がれた化粧に残るだけ」

 馬に乗って移動する遊牧民であり、動きが要となる生き絵を極めようとする主人公にとっては青天の霹靂。しかも、どこにも逃げ場はない。

 箱庭の住民に、「さあ、どうする?」と迫る社会実験のような感覚。世界を統べる法則を転覆させるのは、SFに通じるマインドがあり、本作の尖った部分となっている。

 そして、気づくことがひとつ。「動きが見えなくなった世界で、動きを前提とした芸術はどうなるのか?」という問いかけと対照的なものが、この世に存在する。それが本だ。動きが見える我々は、ページという枠の中の動かない文字を追って物語世界を覗く。そうした対比が潜在的にあるからテーマ性はより深まり、この物語を本という形で体験する意味も見えてくる。作者は計算済みだろう。生き絵について考えることは、本とは何かを探究することでもある。

 ここまでは主に世界の創造と構造について書いてきたが、本作の魅力はそれだけではない。再度ゆっくりと読み返すなら、人物中心に味わうのがいい。主人公のマーラは、くだけた言葉で言うなら“名言製造機”だ。外向けには姉御肌で、奔放な演手たちをまとめているが、その実、内省的で物事の本質を見極める。特に私が印象に残った三つのセリフを挙げたい。文脈から切り離してもその言葉は心に強く刺さる。

「裏切る人はいません。そもそも信じるというのは、相手の許しもなしに、期待という自らの幻想を人に託すことですから。期待の幻想が解けても、その人の本当の姿が見えるだけです」

「あなたに忘れられたら、その感情は死ぬしかありません。悲しいことは、素直に悲しんでおかないと」

2024.08.06(火)
文=卯月 鮎(書評家)