「私は、もう元通りにならない世界を生きることにします。何が不自由なのかは、環境ではなく私の心で決めたいので」

 異文化に触れることで新たな見方を吸収し、生き絵の道に邁進するマーラ。その言葉を振り返るだけでも、彼女とともに成長していけそうだ。

 奇術師の苟曙も、来し方行く末を追いかけたくなる人物。「人を喜ばせることで、私も共に幸せになれるんですから」。人のために芸を磨いてきた彼は誰からも慕われていた。しかし異変前の芸にこだわり、観衆に気まずさを与えてしまう……。そんな彼はいかにして現状と向き合うのか。その展開にはカタルシスがある。芸術とは誰のものか。芸術には何ができるのか。マーラと苟曙の道は交差した。目指すゴールは同じかもしれない。

 もうひとりお気に入りを挙げるとすれば、マーラの師匠で先代の生き絵司であるラチャカも味わい深い。細い眼に峻厳な光を宿した老女で、マーラは子どものときにラチャカの生き絵に感動し、その弟子となった。見る者を生き絵で改心させようと意気込むマーラに対し、「芸術が変えられるのは、人の心の温度だけさ」と諭した言葉は軽さと重さを併せ持つ。動きはなくとも熱は放たれる。「心の温度」は本作の重要なテーマのひとつだろう。

 もともと単行本が出版されたのは二〇二二年。コロナ禍における芸術の存在意義を問う寓話として高く評価された。ただ、天城光琴のインタビューを読むと、普通に暮らす人々が突然の異変に見舞われるという設定は、新人賞への応募を始めた頃から構想していたそうだ。コロナ禍という現実が後から作品に重なってきた感覚だという。しかし、そうは言っても架空世界が現実の影となり、透かしとなり、巧みにシンクロするように物語世界が構築されているのは間違いない。社会実験的ファンタジーとでも言えばいいのか。読んでいて随所にはっとさせられる。

 ベースとしてはファンタジーだが、SFマインドもあり、生き絵の裏舞台は演劇を扱ったドキュメンタリーに近い読み味だ。遊牧民と農耕民の接触による文化摩擦は歴史小説の趣。大詰めでは緊迫する状況をミステリー的、サスペンス的にひっくり返してみせ、トリを飾る生き絵描写はまるでCG映画のような鮮やかさでページを彩る。これが文字の組み合わせだけで成り立っているのだから洗練された贅沢だ。

 それでも妄想は止まない。本という芸術がもたらす幸せを嚙み締めた上で、もうひとつ願うなら、遮るものが何もない広大な草原でマーラが創造する生き絵によってこの物語を味わってみたい。額縁の中の、ここではないどこかにさらわれる。

凍る草原に絵は溶ける(文春文庫 あ 100-1)

定価 957円(税込)
文藝春秋
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2024.08.06(火)
文=卯月 鮎(書評家)