塩谷さんは、感性を大切にしながらも、感じたことをストレートに差し出すわけではない。なので、その文章には、読者が釣られて連想に浸れるだけの余白がある。それは、文章全体を感じたことの記述で染めてしまうような圧迫的な文章では成立しないゆとりだ。

 塩谷舞さんは、言葉を選んでいる書き手だ。それを説明するだけのことに、ちょっと張り切りすぎたかもしれない。色々述べてはきたが、実際のところ、私が塩谷さんの文章を好んで読むのは、その言葉選びに「夜」を感じるからだ。

 今日のインターネットでは、人目を気にする「昼の言葉」が力を持っている。魅力や価値、メリットをアピールし合うためのボキャブラリー。それは人気や注目を得ようとする言葉であり、構図を単純化してわかりやすくする言葉であり、人を動かすことに特化した言葉であり、他より自分が優れていると示すことに関心を集中させた言葉である。塩谷さんは、バズライターと形容されるほど、「昼の言葉」を巧みに操って仕事をしていた。どうすれば注目を集められるか、彼女にはなんとなくわかってしまうらしい。

 だが、言葉の世界にも夜がある。家族も街も静かに眠る深夜は、「誰の目を気にすることもなく、束の間の自由を謳歌できる夜遊びの時間」だ。そういう時間にこそ、人は言葉選びを急がずに立ち止まる。「夜の言葉」は、小さくて曖昧で、あれかこれかという単純な分類ができない。私が好んで読む書き手の言葉には、いつも夜の成分がある。

 騒がしい世界でかき消されそうになっている小さな声を聞き、それを誰かに届ける文章に翻訳するとき、「夜の言葉」を話す必要がある。そして、塩谷さんの言葉の軸足は、静かな夜にある。スポットライトを浴びない、「夜の言葉」を書く人だ。そういう反時代的な言葉の選び方をする塩谷さんの感性と知性を、私は素直に信頼している。

ここじゃない世界に行きたかった(文春文庫 し 72-1)

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2024.07.22(月)
文=谷川 嘉浩(哲学者)