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 新著『小さな声の向こうに』が話題のエッセイスト・塩谷 舞さんと、同時期に第二歌集『あかるい花束』を刊行した歌人・岡本真帆さんの初対談が実現。刊行記念イベントで二人が語った「書いて生きていくための創作術」のすべて。


20代の頃、同じオフィスで働いていた二人

塩谷 今日は、歌人の岡本真帆さんをお誘いしました。岡本さん……私は「まほぴ」と呼んでるのですが、私たちは20代の頃、しばらく同じオフィスで働いてたんだよね。

岡本 そうなんです。私はコルクという編集の会社に勤めてるのですが、塩谷さんも以前その会社で週に何度か働いていて。

塩谷 当時はお互い作家さんのサポートをすることが仕事だったから、こうして本屋さんで一緒にイベントをしているのが不思議です。

岡本 あのときは、まったく想像もしなかったね。塩谷さんは当時から発信を沢山していたけど、まさか私が本を出すとは思っていなかったので……。

塩谷 でも、当時から短歌は詠んでいたでしょう。

岡本 詠んでました。でもその頃は趣味としてSNSで発表したり、新聞歌壇に応募したりして、ときどき採用してもらえると、「よし!」って喜んでいたんだよね。そんな中で、SNSで話題になったことがあって……。

塩谷 「ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」という歌だよね。SNSで注目されたことで、歌人としての道がひらけたんでしょうか?

SNSで短歌が話題になったら自費出版の話がきて……

岡本 傘の歌が話題になったあとに、とある出版社さんから「歌集を出しませんか?」というご連絡をいただいたんですが、それはほぼ自費出版の形だったんです。そうするとまず、100万~200万円を支払う必要がある。であれば、自分から出版社さんに持ち込んで相談しようと何社かご相談に行ったんですよね。

塩谷 自分で道をつけていったんだね。

岡本 そうなんです。そうやって、お話を聞いていただけそうな出版社さんに何社か持ち込みをして、その中でナナロク社さんとのご縁があり、第一歌集を出せることになったんです。

塩谷 すごいなぁ。でも、会社で編集者として仕事をしてきたからこそ、どう行動すれば良いかを把握できていたところも大きいのかな。

岡本 それはあります。ただ、自分が歌人として活動していく中で、自分の伝えたいことがだんだん大きくなっていった。そうすると、編集者として作家さんに何かを伝えようとするときに、それが本当に作家さんのための意見になっているのか、もしかして自分のエゴによるものではないのかと、分からなくなりかけてしまった時期があったんですよね。

塩谷 確かに、自分の言葉を紡ぐことに集中していると、それまでとは視点が変わってくることもあるよね。

岡本 だから、編集の仕事からしばらく距離を置かせてもらっていた期間もありました。

 今はもう、編集者としての仕事と、ライフワークとしての作家活動を切り分けて考えられるようになったので、うまく乗り換えられるようになったのですが。

塩谷 その両立ができるのはすごいなぁ。ただこれだけ沢山本も売れている中で、「会社を辞めて独立しようかな」と考えることもあるのでは?

岡本 「会社を辞めたら文筆に使える時間が増えていいなあ」と思ったこともあったんですが、やっぱり会社は辞めないと思います。というのも、短歌を詠むことが生活費を得るための行為になったとしたら、私は短歌が嫌いになったり、続けられなくなったりするんじゃないかと思っていて。今はそういう状況にはせず、書きたいものだけ書きたいし、なるべく自分の好きなものの話だけをしたい。自分が健やかに創作をするための心と身体を保っていたいからこそ、会社は辞めたくないんです。

2024.07.06(土)
写真=山元茂樹