この記事の連載
- 塩谷 舞さん・岡本真帆さん対談(前篇)
- 塩谷 舞さん・岡本真帆さん対談(後篇)
“バズる”ライター仕事をやめるという決断
塩谷 少し立場は違うけれど、「書きたいものだけを書きたい」という気持ちはすごくわかります。私の話をすると、2015年に独立してフリーライターになって、最初は記事広告などの依頼を受けて執筆していたんですよね。SNSでの発信が注目されていた頃でもあるから、しっかりバズるような記事を期待されることが多かった。でも次第に、そうしたバズる文章と、本当に書きたいことの折り合いがつかなくなってきて。そこで2019年頃に、それまで引き受けていた記事広告の仕事などを全部手放したことがあったんです。
岡本 それもすごいことだ。
塩谷 そうしたことで収入が4分の1くらいになったから、生活スタイルは変えざるを得なかったんだけど、結果として精神衛生がとても良くなった。沢山お金を稼ぐよりも、自分の言葉をまっすぐ伝えられていることのほうが、自分にとっては良い状態なんだとよくわかりました。
もちろん、食っていくのに苦労した時期はあったんだけど、なんとか道を模索して。今は本の印税や原稿料だけじゃなくて、noteのメンバーシップで毎月購読者さんたちに支えてもらっているから、なんとか食いっぱぐれずに生きられています。
「私が見捨ててしまっている側面をしっかり描いているな」という衝撃
塩谷 3月に出たばかりの第二歌集『あかるい花束』を読ませてもらったんだけど、第一歌集以上に飾らず、素直に詠まれている歌が増えているように感じて、その変化が面白かったです。たとえば、第一歌集には「ていねいなくらしにすがりつくように、私は鍋に昆布を入れる」という歌が、第二歌集には「とうめいなザバスの筒で飲む水のこういうことがたぶん生活」という歌が収録されてる。どちらも生活について詠んでいるけれど、後者のほうが……
岡本 ずっと生活感があるよね(笑)。でも、塩谷さんの暮らしではそんなことはしないんじゃないですか?
塩谷 いや、する。(プロテインを飲むための)ザバスの容器こそ使ってはいないけど、やっぱり暮らしていく中で、楽な行為を選ぶことは沢山あるよ。でもエッセイにあえて書かないことのほうが多いんだよね。だからこそ、第二歌集を読みながら「私が見捨ててしまっている側面をしっかり描いているな」と、衝撃を受けることが多かったんです。
岡本 確かに、私たちは「何を言葉にするのか」という視点が対極にあるのかもしれないね。塩谷さんの新刊『小さな声の向こうに』を読んでいると、やっぱりエッセイという長い文章で、自分の考えを繊細に世に発信するって、すごいことだなと思いました。でもそうした文章の中で自分をさらけ出しているところがある一方で、かなり言葉を選んでいたり、断言していないところもありますよね。
塩谷 あります。長い文章を書けば書くほど痛感するのは、書き手は人を説得する力を養いすぎてしまう、ということ。もちろん断言している文章のほうがわかりやすくて、賛否を呼びながらも熱心な読者が増えていくことはあるのだけど、同時に読む側の考える力を奪ってしまいかねない。持論は伝えていきたいけれど、洗脳したい訳ではないから、あえて強い言葉を使わず曖昧にしているところは多々あります。
2024.07.06(土)
写真=山元茂樹