「湯浦君、どうですか」

 と、訊いた。僕は目を丸くする。だって、この先生の授業に出るのはこれが初めてだし、先生は僕を知らないはずだ。さっきの紙に名前を書いた順番で僕の座っている場所がわかったのか? いくらさほど人数が多くないとはいえ、正確にわかるものだろうか。不気味に思いながらも、僕は慎重に答えようとする──

「わかることと、わからないことがあります。たとえば戦争とはなんなのか、辞書的な意味でも、時事的な意味でも、よくわかるように思えます。二月からはじまったウクライナ侵攻のニュースを見て、衝撃を受けているところでもあるし……。愛っていうのはそれに比べると曖昧模糊としているしよくわからないけど……少なくともこれまで読んだ本から、たくさんの人がその言葉にいろんな意味を込めてきたことは知っていると思います。喜劇や悲劇については、一般的なイメージと文学用語としての定義がずれているって話を、別の授業で聞いたことがあります。えっと……それで、そういうのをぜんぶまとめて『わかる』かどうかといえば、わからない気がします」

 言い終えて、横で入谷が笑いをこらえているのに気づく。「あいまいもこ」と小声で言われる。いつものやつだ。僕はどうもふつうの人は口頭で言わないような言葉をしゃべる癖があって、それが入谷には面白くて仕方ないらしい。ま、いいけど。

 肝心の発言内容にはあんまり自信がなかったが、

「なかなかいい答えですね」

 と、先生がゆっくりひとつ頷くのをみて、ちょっとほっとする。

「ほかになにか発言したい人はいますか?」

 ななめ前の席の新名翠が細い腕をまっすぐに挙げる。少し緊張気味に指先に力を入れているその姿に、僕はいつものように見惚れてしまう。先生はこんどは名簿も見ずに新名だけを見て、

「はい、新名翠さん」

 と指名する。やっぱりだ。先生はもう誰が誰だか完全にわかっているらしい。あの手書きの名簿と僕たちの顔を一瞬で覚えたのか? いや、名前はともかくどうやって顔と一致させたんだ。でも新名はとくに気にするふうもなく口をひらき、

2024.06.01(土)