中学に入ったころ、読書好きの友達ができた。名前は渉。好きな本は僕とはぜんぜん違って、大人が読むような日本の小説ばかりをたくさん読んでいて、村上龍(※1)の熱狂的なファンだった。そのころの僕はヘッセ(※2)にはまっていて、文庫で読めるやつを片っ端から読んでいた。渉の勧めてくれた本を読もうとしたけど、数ページで心臓がひっくり返りそうになったからやめた。本人に言ったら大笑いされたけど、それでも僕たちはそれぞれ好き勝手に自分の読んだ本の話をし続けた。あいつは村上龍で、僕がヘッセ。会話が成り立ってたのかっていったら微妙だけど、学校の話でも塾の話でもなく、本の話ができる友達ができたのが嬉しかった。でも渉は中学卒業の直前に親の転勤でロンドンに行ってしまったきり、向こうで暮らしている。渉とはメールやショートメッセージでやりとりを続けているけど、もうずっと会っていない。

 僕は大学の文学部に入り、なかでもいちばん本の虫みたいな人がたくさんいそうな気がしたロシア文学科に進んだ。そしていま、ロシア文学の授業に出ているわけだ。

 枚下先生がホワイトボードに大きくいくつかの単語を書いている。僕を含め学生たちはその文字を目で追う──「戦争」「国家」「恋」「喜劇」「愛」「悲劇」「死」「時間」。そして、踊りだしそうなステップでくるりとこちらを振り返り、

「さて問題です」

 と言ってまた一瞬だけにっこりと笑顔になり、ふたたびおおげさなくらい真面目な顔に戻って、

「みなさんは、ここに書かれた言葉がわかりますか?」

 と続ける。どういう意味だろう。ななめ前に座った新名がひとつひとつの単語を確かめるように見つめ、なにかがわかったようにちいさく頷く。となりの入谷は首をかしげる。そうだ。ある意味ではわかるし、ある意味ではわからない、と僕は二人を見て思う。枚下先生は戻ってきたできたての手書きの名簿にちらりと目を落とすと、どういうわけか僕をまっすぐに見て、

2024.06.01(土)