と、僕が得意の回想にふけっていると、まだ手書き名簿を回し続けている教室に枚下先生のうたうような声が響いた──

「この授業では基本的に一回の授業でひとつの作品を扱います。みなさんの課題は、授業までにその作品を読んでおくこと。そして授業ではその作品を体験すること。この授業は体験型でおこないます」

 僕は思わず先生の顔を見た。おもしろいことをいう先生だ。「体験型」って、なんだ? 作品の世界に入り込むっていうことだろうか。だとしたら得意だぞ。僕は新名みたいにとびぬけて洞察力があるわけでも、入谷みたいに器用になんでもこなせるわけでもないけど、小説を読みだすと周りが見えなくなることにかけては負けない。なんたって、長所なのか短所なのか自分でもわからないくらいだからな。

 初めて自分がちょっとおかしいんじゃないかって思ったのは、小学校三年生のころ、読書の時間にクラスのみんなと図書室で本を読んでいたときだった。そのとき、めちゃくちゃ面白い本をみつけたんだ。僕みたいなちょっとひ弱な男子が、夏休みの終わりに何人かの友達と不思議な世界に迷い込んで恐竜に会う──っていう冒険小説なんだけど、読んでいるうちに図書室もみんなも視界から消えて、僕は主人公の体験を追うみたいに、本のなかの世界にいた。気がついたときにはほんとうに図書室に誰もいなくなってて、給食の時間も終わりかけてた。つまり僕はそのとき授業の時間が終わったチャイムにもみんなが教室に戻っていくのにも(たぶんそのとき誰か友達が僕に話しかけていたことにも)給食のいい匂いが漂ってくるのにも気がつかずに本のなかから帰ってこれなかったってことになるわけだけど、でもはっと気づいたときに感じたのは不安や戸惑いじゃなく、「すごい本をみつけたぞ!」ってことで、有頂天になってその本を借りて帰ったっけ。

 それからは、またそういう体験がしたくて学校のある日は図書室に入り浸って、休みの日は自転車で市立図書館に通って、本を読んだ。

2024.06.01(土)