少女のときめきを書き切るためには、大人の思索と書き続けることで生まれる底光りする文体がいる。大切な茶席に、選び抜かれ、磨き抜かれた道具がいるように。
そして眼もいる。
対象を熱を込めて、しかし、冷静に見つめる眼だ。これも、少女は持ち得ない大人のものだった。『茶の湯の冒険』の内で、森下典子によって描き出される人々は誰もがプロだ。樹木希林さんは、一際見事なプロ中のプロの仕事を見せてくれた。森下典子の筆は、そのすごさを丁重に丁重に表す。森下さん個人が圧倒される様も余すところなく書き上げる。けれど、そこに留まらない。樹木希林という、あまりに大きな光に眼を眩ませることなく、他のスタッフのプロ振りもきちんと捉えているのだ。
結果『茶の湯の冒険』は、見事なお仕事エッセイになった。
俳優、監督、プロデューサー、大道具、小道具、音響、照明、衣装……、何十人もの仕事師たちへの賛歌となりえたのだ。それが、作家森下典子の為した、プロの仕事である。
三度目の話をしよう。
三度目、『茶の湯の冒険』を読み終えたとき、騒めきは遠のいていた。
かわりに、しんと静まり返った寂しさ、寂寥に近い情が心を満たしていく。
怖いほどの静かさだった。
それがなぜなのか、わたしには確とは摑めない。
樹木希林さんが亡くなられたからなのか、映画の撮影が終わりを迎えたからなのか、他に理由があるのか、掴めないのだ。
掴めているのは、ここまで静かで穏やかな寂しさを初めて味わったことだけだ。
そこまで思いを巡らせ、『茶の湯の冒険』というタイトルの意味が分かった気がした(飽くまで、あさのが勝手にわかった気になっているだけかも)。
この本は心を未知の世界に誘ってしまう。これまで知らなかった、触れてもいなかった世界、ここではないどこかに連れていくのだ。
日常に添いながら遥か高みに引き上げ、遥か高みに導きながら、必ずわたしたちの日々に戻ってくる。けれど、その日常はこの一冊を知らなかったころの日常とは微妙に違っている。
この変化を冒険と呼ばずして何と呼べばいいのか。
茶を点てるとき、人の身体は大きく動かなくても心は新たな世界を進んでいるのだろうか。うーん、やはりわたしには答えが出せない。
この先、森下典子の作家としての冒険に目を凝らさねばならない。そこだけは、確信している。
茶の湯の冒険 「日日是好日」から広がるしあわせ(文春文庫 も 27-3)
定価 825円(税込)
文藝春秋
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2024.04.24(水)
文=あさの あつこ(作家)