この記事の連載

 映画ライターの月永理絵さんが、新旧の映画を通して社会を見つめる新連載。第6回となる今回のテーマは、「平等」。

 公開中の映画『落下の解剖学』は、ベストセラー作家の妻と主夫の夫が、夫婦間の平等を巡る“暴力的な口論”の末に悲劇的な結末を迎えたところから、物語が始まります。


“強い女性”なら夫を殺してもおかしくないはず?

 「平等」について考える。というと、つい大きなテーマとして考えがちだが、まずは身近なところから考えてみたい。たとえば家庭内での平等。パートーナー同士のふたりが家のなかでの仕事を平等に分担したいと思うのは、ごく自然なこと。でも実際に完璧な平等を目指すのは、思った以上に難しい。

 家にいられる時間が多い人の方に自然と家事や育児の負担がかかったり、収入が少ないほうが家事をすべきだ、という無言のプレッシャーに従わせられたり。性別による役割分担ができてしまうのも問題だ。では、家庭内での平等は、いったいどうすれば実現できるのだろう。

 昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、今年のアカデミー賞に多数ノミネートされた『落下の解剖学』(2023)は、家庭内での平等、という問題を考えるうえでぜひ見てほしい映画。物語は、フランスの雪山の奥深くにある山荘で起きた転落死事件から始まる。

 妻サンドラと、一人息子ダニエル、そして愛犬のスヌープとこの山荘で暮らしていたサミュエルが、突然転落死を遂げる。当初は事故死かと思われたが、遺体の状況から他殺の疑いが浮かび上がり、やがて妻に疑いの目が向けられる。

 サミュエルの死は世間から大きな注目を集める。それは、彼の妻サンドラが、誰もが知るベストセラー作家だからだ。弁護士は自殺説を主張するが、検察はサンドラを殺人罪で起訴し、注目の裁判が幕を開ける。裁判が進むうち、サンドラとサミュエルとの夫婦関係が赤裸々に暴かれていく。

 実は、私生活をモデルにした小説で名声を得た妻と、主に家の仕事を担っていた夫との間には、たびたび大きな諍いが起きていた。さらに、サンドラがバイセクシュアルであり、婚姻中に別の女性と関係を持っていたことが判明すると、検察官たちの追及はより激しさを増していく。

 鍵となるのは、視覚障害を抱える息子ダニエルの証言だが、第一発見者である彼はまだ11歳。幼い彼は、父の突然の死を悲しむ間もなく、両親の隠された姿を否応なく知らされることに。

 監督は、これが長編4作目となるジュスティーヌ・トリエ。脚本は、実生活でもトリエのパートナー関係にあり、『ONODA 一万夜を越えて』(21)の監督アルチュール・アラリが共同で手がけている。疑惑の人サンドラを演じるのは、『ありがとう、トニ・エルドマン』(16)をはじめ、ドイツを拠点に数々の映画に出演してきたザンドラ・ヒュラー。

 サンドラは、夫のサミュエルより高い社会的地位を持った強い女性で、ふだんは母国語であるドイツ語ではなくフランス語と英語を使いわける。検察からの詰問に毅然として答え、女性たちとの浮気についても正当な理由を述べる。けれど、彼女がもつその強さ、逞しさこそが、人々に疑念を抱かせる。このふてぶてしい女性なら、夫を殺してもおかしくないはず。サンドラがいかに自立した女性であるかが証明されればされるほどに、彼女に向けられる疑惑は増していく。

2024.02.29(木)
文=月永理絵