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平等のための口論は、家事育児の分担からセックスの力関係まで

 果たしてサミュエルの死の真相とは何か。映画はミステリーの形式に沿って進むが、謎解きよりもおもしろいのは、裁判が進むにつれて浮かび上がる、サンドラとサミュエルという夫婦の特異な関係性。裁判に提出されたサミュエルとサンドラが口論する音声からは、ふたりが激しく声を荒げ、暴力行為とも思える音が聞こえてくる。それはあたかも相手を殺しかかねないほどに憎み合う夫婦のよう。

 でも私にはむしろ、その口論が清々しく受け止められた。サミュエルとサンドラは、自分たちがどうすれば本当に平等な関係でいられるのかを徹底的に追求する夫婦なのだ。どちらがより不公平な立場にあるか。この不平等をどう正せばいいのか。家事や育児の作業分担から仕事の仕方、住む場所の選択、セックスをめぐる力関係まで、ふたりは互いに自分の納得するやりかたを主張する。それゆえに対立し、とことんまで相手を傷つけあう。

 鬼気迫るふたりのやりとりは、たしかに苦しい。仕事がうまくいかず相手に嫉妬を募らせるサミュエルの弱さと、彼の弱さを許容できないサンドラの強さ。その対比はあまりにも残酷だし、実際にこの口論のあとにサミュエルの死という悲劇が起こるのだから、口論が清々しいなどと言ってはいられない。

 けれど、ここまで「平等な関係」を求めて戦う男女の姿を目撃できたことに、私は感動せずにいられない。そういえばジュスティーヌ・トリエ監督は長編第1作『ソルフェリーノの戦い』(13)でも、別れた夫と妻が、殴り合わんばかりに口論する様を通して、(たとえ別れた後だとしても)家庭内での平等を求め果敢に戦う女性の姿を描いていたように思う。

 サンドラたちの口論を見ながら思い出したのは、リチャード・リンクレイターが監督した大人気シリーズの3作目『ビフォア・ミッドナイト』(13)での夫婦の喧嘩シーン。ジュリー・デルピーとイーサン・ホークが演じるのは、二度の偶然の出会いを経て、いまは双子の両親になったセリーヌとジェシー。

 映画は、ふたりがバカンスを過ごすギリシャでのある一夜の出来事を描く。久々のふたりきりでの夜に、はじめはロマンチックな雰囲気が流れるが、些細なことから互いへの不満をぶつけだし、大喧嘩が始まる。さまざまな話題が上がるなかで、もっともヒートアップするのは、やはり家庭での役割分担のこと。

2024.02.29(木)
文=月永理絵