ミュージシャンとしてのみならず、幅広いジャンルで活躍してきた近田春夫さんが、半世紀を超えるそのキャリアにおいて親交を重ね、交遊してきた錚々たる女性たちとトークを繰り広げる対談シリーズ「おんな友達との会話」。

 7人目のゲストは、日本を代表するファッションデザイナー、コシノヒロコさん。2026年7月26日(日)まで開催されている『(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO-新説/真説 コシノヒロコ-』展の会場である東京都現代美術館にお邪魔して、89年の半生と創造性の深奥に迫る。


「勝手にやりなさい」と3,000円を渡されて

コシノさんの絵画作品の前で。

近田 今回の展覧会で、水彩や油彩のペインティングを拝見しましたが、コシノさんは、画家としても卓越した才能をお持ちですよね。

コシノ ありがとうございます。私は、もともと美大に行きたかったんです。

近田 実は、僕も高校時代に美大を目指して、美術系の予備校に通っていたことがあるんです。石膏デッサンとか、受験用の小手先のテクニックばかり教えられるのに辟易して、結局、その道に進むことはあきらめましたが。

コシノ 私は、高校の先生に「美大なんて、浪人覚悟じゃないと行かれへんよ」と言われて、それを聞いたお母ちゃんが、「絶対浪人なんて許さへん」というから、高校卒業後、とりあえずは天満橋の松坂屋にあったドレスメーカー学院に通いました。

近田 いわゆる洋裁学校ですよね。略称はドレメ。

コシノ ええ、そこでスタイル画の授業を受けたことが、次につながりました。ドレメの先生に、スタイル画の大家である原雅夫先生を紹介してもらって、私は上京することを決めたんです。

近田 東京に行くことに関して、お母さんは反対なさらなかったんですか。

コシノ もう、「大いにオッケーよ」みたいな反応でした。

近田 そりゃ意外ですね。

コシノ まだ10代の娘を東京に送り出すんだから、下宿先決めたり、いろんな手続きするのに、親が付き添ってくれると思うじゃないですか。でも、お母ちゃんは現金3,000円と、以前コシノ洋装店で働いていた女性の東京の嫁ぎ先の住所が書かれた紙だけをポンと手渡したっきり、「勝手にやりなさい」って。

近田 さぞかし心細かったんじゃないですか。

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