話がずれた。他にも、市民の足はサンデン交通だそうで、いや、そりゃそうなんだろうけど、要るかその情報? そう言えば岡山を舞台にした『館島』(東京創元社)でも下津井電鉄という既に廃線になったローカル線がやけに事細かに描写されていた。もしや東川さん、野球ファンだけでなくローカル線マニアでもあるんだろうか。
また話がずれた。つまり、観光ガイドにはまず載ってない──というか載せてもしょうがない話ばかりなのだ。しかしちょっと待たれたい。だからこそ、リアルにその土地の空気が伝わってくるのである。ゲームセンターも病院もラブホテルもある普通の町で、観光スポットではなく日々の通行路として登場する関門トンネル、バナナの叩き売りが前身の門司のヤクザ(ちなみに任侠ってのは北九州のご当地名物と言えなくもない)、裏口からそのまま海に出られる漁師の家。海峡を行き交う船、島々、潮流の電光掲示板。全編から潮の香りが、しかも船の油やゴミや海草もそれなりに混じってるような潮の香りが漂ってくるようじゃないか。
方言の使い方もいい。翔太郎の先輩以外の登場人物は便宜上(?)標準語を喋ってはいるものの、門司の絵里香は興奮すると「ボテクリコカされたって知らんけんねー」「くらわさるっけんねー」と相手を恫喝する。こらこら絵里香ちゃん、よその人にはバレないだろうけど、そりゃ女の子が口にする言葉じゃありませんよ。
そういった小道具や風景描写だけでも生き生きとした土地柄が伝わってくるのだが、何より、ここで展開される身代金受け渡しトリックも、そしてその謎解きも、この場所でなくては成立し得ないものであることに注目されたい。旅情ミステリでもあり本格ミステリでもあるという理由はそこにある。本書の舞台は、絶対に下関でなくてはならないのである。あまり詳しくは書けないけども、このトリックが実はかなり巧緻に練られたものであり、そういう描写が思わぬ伏線だったことに驚くはずだ。
2024.01.25(木)
文=大矢博子(書評家)