「このあたりは高さ規制がありまして、ここまでの高さしかできないんです。ただ、八木山の上にあるので、標高では180m。仙台市街地はもちろん、天気が良ければその向こうの太平洋、反対側では蔵王連峰なども見ることができますよ。

 東京ですと、かつてのお台場や、横浜とか葛西臨海公園とか、海の近くの観覧車が多いですよね。でも、ベニーランドみたいに山の上の観覧車も、またちょっと変わった雰囲気で楽しいですよ」(八木園長)

 ほかにもゴーカートや園内を見下ろせるスカイジェット、バルーンレースにパラトルーパーなどなど大人も子どもも楽しめる20以上のアトラクションが所狭しと並んでいる。

 八木園長によれば、1968年に開園した当時のアトラクション数はわずか14。敷地もいまよりも狭かったという。仙台市民の憩いの場として人気が高まるにつれて、徐々に敷地を広げつつ、アトラクションも増やしていまの形になった。

 

限られた人しか立ち入れない“城の守りの山”がなぜ遊園地に?

 ここで、ベニーランド開園よりさらに100年ほど歴史をさかのぼってみよう。ベニーランドや動物園のある八木山一帯は仙台城(青葉城)の裏山として、藩士しか立ち入ることのできない“城の守りの山”だったという。

 それが明治に入ると、生活に困った藩士のために仙台藩が彼らに山を払い下げ。ただ、藩士たちの共有財産とされたおかげで所有権を巡っていさかいが起きてしまい、裁判にまで発展している。ここで白馬の騎士として登場したのが、四代目八木久兵衛さん。仙台を代表する実業家であった。

「四代目八木久兵衛が、大正時代の末ごろに訴訟ごとまとめて引き受けて山を買い取りました。それを五代目八木久兵衛が引き継いで、市民が楽しめる場所として整備していったんです。当時は結核が流行っていて、空気のいい療養地としてこの山を考えていたんじゃないでしょうか」(八木園長)

 ちなみに、八木久兵衛さんが買い取るまではこの山は越路山と呼ばれていたが、八木久兵衛が整備したことで八木山と呼ばれるようになったという。いまでは一帯が八木山本町や八木山東など、“八木山”を冠した町名が与えられている。

2023.09.30(土)
文=鼠入 昌史