「最初に山を整備したときにも、小さな遊園地のようなものがあったようです。ただ、いまのベニーランドのように本格的なものではなくて、むしろ公園や野球場がメイン。野球場はいまの動物園のアフリカ園あたりにあって、東洋一と言われるほどの規模でした」(八木園長)

 この野球場では、歴史に残る名勝負も繰り広げられている。1934年、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらを擁するメジャーリーグ選抜と沢村栄治らの全日本が戦った伝説の日米野球だ。八木山球場で行われた第4戦、ベーブ・ルースは2本のホームランを放った。八木山動物公園内には、ホームランボールが落下した付近にルースの像が建っている。

あまりにも豪快すぎる八木さんの大英断

 そして八木久兵衛さんがスゴいのは、山を買って野球場を作ったことだけではない。なんと、整備が終わるとその敷地をまるごと仙台市に無償で譲渡したのだ。

 山の購入はもちろん、野球場やそれに向かう道路の整備にも私財を投じ、そうしてできあがったものをタダで市に寄付……。社会貢献事業ということになるのだが、昔のオカネモチ、その規模もあまりにも豪快である。このときに寄付した土地が、いまでは八木山動物公園になっている。

「戦後の復興が進むと、まずは昭和30年代くらいから一部の宅地化がはじまったんです。そのあと、1965年に動物園が移転してきて、それから遅れること3年、1968年にベニーランドが開園しました。動物園ができたときにはこのベニーランド、駐車場だったんですよ」(八木園長)

 ベニーランドは東北地方でははじめてとなる総合遊園地だった。いまでもベニーランドほどの規模を持つ遊園地は、山形のリナワールドがあるくらいだ。開園当時は14ほどのアトラクション。55年の間に敷地を広げ、アトラクションを増やしていまに続いている。開園時からのアトラクションは残っていないが、件のテーマソングとベニーマークは55年前とまったく変わっていない。そして……。

2023.09.30(土)
文=鼠入 昌史