実資の日記である『小右記』は、『野府記』などとも称される。逸文を含めると、二十一歳の貞元二年(九七七)から八十四歳の長久元年(一〇四〇)までの六十三年間に及ぶ詳細な記録で、当時の政務や儀式運営の様子が、詳細かつ精確に描かれている。

『小右記』は実資の在世中にいったん日毎にばらばらに切られたと見られる。儀式毎にまとめた部類記を作るためである。実資の薨去によってその計画は頓挫し、それをまた貼り継ぎしたものを書写したものが、古写本の基になっていると推測されている。その過程で、『小記目録』と呼ばれる目録も作成された。

『小右記』の写本としては、平安・鎌倉期の書写とされる前田本三十七巻(甲乙二種、尊経閣文庫蔵)、同じく平安・鎌倉期の書写とされる九条家旧蔵本十一巻(宮内庁書陵部蔵)、鎌倉期の書写とされる伏見宮家旧蔵本三十二巻(宮内庁書陵部蔵)、室町期の抄写とされる三条西公本二冊(宮内庁書陵部蔵)が、古写本として存在する。一部の年は、江戸期に書写され、明治時代の補写を加えた秘閣本(内閣文庫旧蔵)しか存在しない。

 なお、『小右記』には兼家や道隆、道長など、政権担当者に対する批判的な記事が多いが、それは日記の中だけでの批判である。実資自身は、現実の生活では彼らと良好な関係を続けていた点に留意しなければならない。また、儀式に際して違例を行なった貴族に対する批判も激しいが、『小右記』が実資の生前から宮廷社会において読まれていたことを考え併せると、不思議でならない。

道長側近の行成

 藤原行成は、摂政伊尹の孫、右少将義孝の子として、天禄三年(九七二)に生まれた。母は源保光の女。忠平二男の師輔を祖とする九条流藤原氏の嫡流とも言える家系ではあるが、祖父伊尹が天禄三年、父義孝が天延二年(九七四)に薨去してしまい、行成は青年期は不遇であった。長徳元年に蔵人頭に抜擢され、一条天皇や東三条院詮子、道長の信任を得て、以後は昇進を重ね、寛仁四年(一〇二〇)に権大納言に至った。

2023.09.13(水)