一条天皇の側近として、また顧問の臣として、その信任も厚かった行成であるが、彰子立后や敦成立太子など重要な局面においては、道長の側に付き、一条の説得にあたった。公卿社会に有力な血縁や姻戚を失なった行成とすれば、道長に接近して厚遇を受けること、そしてその結果として昇進することだけが、名門たる家を存続させることのできるただ一つの方途であった。実資から「恪勤の上達部」(道長に追従する公卿)と揶揄されても、それは仕方のないことだったのである。

 公務に精励し、王権内部の連絡に奔走したほか、諸芸に優れ、特に書では小野道風の様式を発展させた温雅な書風で和様書道の大成者とされ、三蹟の一人と称された。また、宣命を読むのが得意だったようで、即位式など重要な儀式でしばしば宣制の役を勤めている。万寿四年(一〇二七)十二月四日、道長と同日に五十六歳で薨じた。

 行成の日記である『権記』の名は、極官(その人の任じられた最高の官)の権大納言による。二十歳の正暦二年(九九一)から寛弘八年(一〇一一)までのものが伝存し、これに五十五歳の万寿三年(一〇二六)までの逸文が残っている。特に蔵人頭在任中の活動が詳細に記されており、当時の政務運営の様相や権力中枢の深奥(宮廷の秘事)を把握するための第一級の史料である。

『権記』は日次記、別記、部類記などが複雑に伝来して、現在の形に至っているものと考えられる。現存する『権記』の最古の写本は、鎌倉期の書写とされる伏見宮家旧蔵本二十二巻(宮内庁書陵部蔵)である。一部は江戸期に書写された前田本(尊経閣文庫蔵)しか存在しない年もある。

 なお、私は『御堂関白記』『権記』『小右記』の現代語訳を先に上梓し、訓読文については、国際日本文化研究センターのホームページ(https://rakusai.nichibun.ac.jp/kokiroku/)に「摂関期古記録データベース」として、『御堂関白記』と『権記』『小右記』を公開している(『春記』『左経記』など他の古記録三十三種も公開済)。利用者登録なしで誰でも使えるようにしてあるので、是非ご利用いただきたい。

 それではこれから、『御堂関白記』『小右記』『権記』という三つの日記を併せ読むことによって、道長の栄華への過程とその後を描き出していくことにしよう。


<はじめにより>

2023.09.13(水)