あくまで平均値なので、結婚しても幸福でない人はいる。だがこのデータを見ると、「結婚=幸せ」の図式は現在も有効だということだろう。私自身は疑問を呈したくなるが、結婚は多くの人を幸せにすると思われているらしい。

 だからこそ、結婚に多くの人がこだわるのだろう。そして、そういう現実があるから、私はこの本を書いているわけでもある。

 

子どもを持たなかった理由

 私が子どもを持たなかったのは「自分の希望」だったと述べた。

 とはいえ環境的要因がゼロだったとは言えない。私が仕事を始めたのは1959年で、男女雇用機会均等法が施行されるのは1986年である。それまで、女性が子どもを持つことは基本的に、キャリアの中断を意味した。

 ただ、環境的要因以上に、個人的な理由が大きかった。大きく二つあって、一つには、人間の生というものへの疑問が子どものころからあったのだ。

 小学生のとき結核を発症した私は、2年間、学校に行くこともできず、疎開先のホテルの一室に隔離され、寝ているよりほかない生活を送っていた。毎日微熱が続いているような状態だった。ちょうど戦時中で、我が家は縁故をたどって奈良県に疎開していた。

 敗戦後、通っていた大阪の小学校に戻ったら、結核は治ってしまった。その後も体育の時間は見学をしていたことを考えると体は弱いほうだったが、仕事を始めてからは、病気で休んだことはない。

 つまり体が弱かったから子どもを産まなかったわけではないのだ。

 結核で一人だったころ、“生れ出づる悩み”を考え続けていたことが、私の人生に大きな影を落とした。

 画家を目指していた父の本棚には画集のみならず、芥川龍之介や太宰治などの文学全集が並んでいた。それらを一冊ずつ手に取り、丹念に眺めるのが私の日課だった。小学生に内容が理解できたとは思えない。だが、繰り返し字を追っているうちに、生の秘密を文学のなかに嗅ぎ取ったようだ。もともと持っていた私の感受性が、呼び起こされたと言えるかもしれない。感じやすい年齢ということもあっただろう。

2023.09.02(土)
文=下重暁子