だが、このワラワラ=「人間たちの卵」を食らってしまうペリカンという鳥が存在する。眞人は、「だめだ」と言われていたのに、ふいにペリカンをイメージの世界に引き入れてしまうのだ。

 これはまさに、子どもたちの生命力を奪うアニメを自分たちが作ってしまったのだ、という宮崎の懺悔であった。

 だがその豊饒なイメージの世界も、壊れつつある。インコという、イデオロギーしか叫ばない身体性のないフィクショナルな存在たちが支配しようとしているのだ。

 インコのキャラクターフォルムは、ちょっとやりすぎなくらい、薄っぺらい。インコの王様にいたっては、あえて「アニメ的」であるかのようなデザインになっている。眞人がインコを外の世界に放つと、物言わぬただの鳥になったように、このインコたちは現実世界には存在することができない。イメージの世界にしかいられない大量のインコは、まるでインターネットという武器を得てしまった現代人のようにも見えてくる。

 

 眞人をイメージの世界に連れ込んだのもまた、「鳥」である。そう、縦横無尽に空を飛び、肉を食らおうとする鳥。アオサギなのだった。私は、このアオサギというキャラクターがこの映画のいちばん興味深いところを引き出していると感じている。

 アオサギは現実世界において極めて魅力的な体躯を持つ鳥なのだ。獲物を丸呑みし、眞人をイメージの世界に誘惑する、「飛ぶことのできる」鳥。それは自分がどこにも行けない、行けと言われた場所にしか行けない眞人にとって、羨望し、願望を刺激してくる存在だった。

 だがアオサギは、イメージの世界に入った途端、単なる小さいおじさんのキャラクターに変化する。なぜアオサギは、イメージの世界で姿を変えてしまったのか? そこにはある答えが存在する。

「もっと深く」「一気に突く」ーー母との“初体験”のやりとり

 アオサギが眞人をイメージの世界へ招き入れた誘い文句は、「お母さんを探してみないか?」だったが、本作に眞人の「母」は3人登場する。

2023.08.15(火)
文=三宅香帆