創作は心の奥にあるものを「形」にして見せること
──友達が違う道を歩むことに付随したコンプレックスは、どのようなところからきているんでしょうか?
僕、自分と同じことをやっていて、でも自分と違うすごさを持った人が好きなんです。飲みに行ったり遊びに行ったりするのも同業者が多いし、クリエイターの友達のことは、プロアマ問わずすごく好きだしリスペクトしてて。例えば、人格がクソでもめっちゃ仲いいやつとかいるんですよ。「コイツすぐバイトやめるくせに、曲だけはいいんだよな~!!」みたいな(笑)。
そういう人とずっと創作で繋がっていたいのに、僕が「すごいな」と思っていた魅力がなくなってしまうとさみしいじゃないですか。本当に、「クリエイターの友達には作ることをやめてほしくない!」とずっと言い続けてて。
──クリエイティブなことを通じて、コミュニケーションをとりたいという思いが強いんでしょうか?
きっと、人間が作って世の中に提示するものから人格が見えることに、信仰みたいなものを持っているんです。すべての人が何かを世の中に出しているわけじゃないけど、考えていることは絶対それぞれの頭の中にあって。僕はその考えを、何らかの「形」として見せてもらえるとすごくうれしいんです。
「すべての人がその手段を持っているわけじゃない。幸いにもお前はギターを弾けるのに、やめちゃうのか!」みたいな。そこにもったいなさを感じるんですよね。
世間的に売れる売れないは関係なくて、例えば働きながらでも、ほそぼそと物作りを続けてくれたらうれしい。俺より名前が知られていなくてもいい曲書いてるやつなんて、いっぱいいるんで。
──その考え方は、キタニさんが漫画を好きな理由とも通ずるところがありますか?
あると思います。しかも漫画って基本的には1人で作るから、自分が音楽を1人で作ることとの共通性も感じますし。
例えば映画はみんなで作るものだから、トップの人の思想ってちょっと薄まって世の中に届くと思うんですけど、漫画や音楽は、それが薄まる余地があんまりないから、濃い状態でダイレクトに届くと思うんです。漫画を読んだり音楽を聴いたりしているときに、作り手の“人間の形”がボーン! と飛んでくるのを感じると、うれしいですね。
──ちなみにその目線で「呪術廻戦」を読むと、どんなことを感じますか?
「呪術廻戦」には、人間関係に関する名言がすごく多くて。例えば五条だったら、「若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ。何人たりともね」みたいなことを、何回も言うんです。芥見(下々)先生が実際に思っていることもあるだろうし、自分は思ってないけど俯瞰した目線で書いてるセリフもあるんじゃないかなと。
でもその“人間かくあるべし論”みたいなものが、キャラクターの発言からちょっと見えたときに「うれしいなあ」って感じますね。作品以外にも、「俺はこういうこと思ってんだよ……!」って飲みの席とかで熱く言われると、「そ~う!」ってうれしくなっちゃいますね(笑)。
心の奥にあるものって、口で言うのは恥ずかしいから曲にしてるのもあるし、酒が入ると言えちゃうことだとも思うので。
2023.08.06(日)
文=石橋果奈
撮影=末永裕樹