描いたのは、キャラクターデザイン・作画監督の大塚伸治と、画面構成の百瀬義行。2人によるイメージボードは映像的なイメージの構築に大きな役割を果たしたため、2人の名前は前述の役職名以外にイメージ・ビルディングとしてクレジットされている。2人のイメージボードは、『菩提餅山万福寺本堂羽目板之悪戯 総天然色漫画映画『平成狸合戦ぽんぽこ』イメージ・ボード集』としてまとめられた。また高畑は制作準備期間中にスタッフに向けて、一種の演出ノートとして「たぬき通信」を執筆。そこにはタヌキに関して知っておいたほうがいい情報や、『平成狸合戦ぽんぽこ』の演出スタイル、あるいは題名の由来などについてまとめられていた。

 9月にプロットが完成すると、高畑は引き続きシナリオ作業に入り、12月にはシナリオ決定稿がアップ。そこから高畑と百瀬は絵コンテ作業に入った。そして翌1993年2月には作画インとなり、いよいよ本格的に制作がスタートした。

 

多数のキャラクターを登場させた群像劇

 具体的にプロットが固まっていく過程で、開発に見舞われるタヌキたちの住み処には多摩丘陵が選ばれた。高畑は「『平成狸合戦ぽんぽこ』も、狸が化けたりして一見ファンタジー風に見えるかもしれないけれど、じつは、狸の変化という一点を除けば、すべて現実に多摩丘陵で起こったことばかりを描いています」(「あとがきにかえて」、『映画を作りながら考えたことⅡ』)と、多摩丘陵という現実の場所を選んだことが「空想的ドキュメンタリー」(同前)としての本作に大きな意味があると語っている。高畑自身、『アルプスの少女ハイジ』制作中、多摩市にある制作スタジオに通いながら、多摩丘陵がニュータウンとして開発されていく過程を目の当たりにし、驚いた経験があったという。

 物語は最終的に次のように固まった。

 ぽんぽこ31年、タヌキたちは自分たちが暮らしてきた多摩丘陵が、人間による開発の危機にさらされていることを知った。一致団結し断固開発阻止を決めたタヌキたちは、先祖伝来の「化け学」を復興させ、四国や佐渡に住む伝説の長老たちにも援軍を頼むことを決めた。タヌキたちは、ついに三長老の力も借りて、タヌキ化け学の粋をこらした「妖怪大作戦」を発動するが、人間たちは決してタヌキたちの思惑通りに受け取りはしないのだった。特定の主人公を追いかけるのではなく、多数のキャラクターを登場させた群像劇のスタイルで、3年余にわたるタヌキたちの集団の変転と、多摩丘陵の変化を描く内容だ。

2023.07.29(土)
文=集英社新書編集部