どのように狸を映画にするか。模索する高畑と鈴木は、1992年5月には、『腹鼓記』の著者である井上ひさしとコンタクト。井上は、鈴木と高畑に、自分なりのアイデアをさまざまに披露した上で、「日本で狸のことを考えている人は、おそらく5人くらいのもんでしょう。狸のことならぜひ協力したい」と『腹鼓記』を書く際に集めた資料の閲覧をすすめてくれたという。高畑と鈴木は、井上の資料が収められた山形県川西町の「遅筆堂文庫」を訪れ、多くの資料に目を通したが、なかなか映画化のヒントになるようなものは見つからなかった。

 

『平家物語』が難しい企画の光明に

 鈴木はこの時のことを次のように振り返っている。

 井上さんの資料を手に東京へ帰る途中、高畑監督とぼくは『狸』の映画を作ることに挫折しそうになっていました。そして、かわりに『平家物語』を作ろうかなどと話し合ったりしました。東京に着くなり、仕方ないのでそのことを宮崎監督に報告すると、いきなり怒られました。(劇場用パンフレット)

 鎧姿の武者を描き、動かし、色をつける作業は、想像を絶するほど困難だというのが、宮崎の主張だった。高畑も宮崎の意見には納得し、『平家物語』の企画はそのまま立ち消えとなった。ところが、この『平家物語』というアイデアが「狸」という難しい企画の光明となった。

 1992年6月になり、高畑から鈴木に提案があった。

 狸たちが主人公の『平家物語』はどうでしょうか(略)『平家物語』の人々の激しく生き、壮烈な死にざまをさらす姿を狸に置き換え、集団劇として描くんです。そこに狸の化け話と時代を現代に持ってきて、狸が開発によって住処を追われるさまを結び付けるという案です。(同前)

 こうして基本となるアイデアがようやく固まり、企画が具体的に動き出した。

4種類のスタイルで描かれるタヌキ

 8月、準備班が発足。高畑がプロットを固めていくのと並行して、大量のイメージボードが描かれた。

2023.07.29(土)
文=集英社新書編集部