そんなタヌキ企画を具体的に取り上げたのは宮崎だった。宮崎が改めてタヌキを話題に出したのは、1992年6月。今度は『紅の豚』の追い込みの真っ最中だった。宮崎は「『豚』の次は『タヌキ』だ」と、改めて企画を俎上に載せた。
宮崎の提案を受けた鈴木も、3年前の提案のことを改めて思い出し、すぐさま応じた。そして次のように、宮崎に逆提案したという。
僕は畳みかけるように、こういいました。「高畑監督でいいですか。その場合、『八百八狸』ではなく『阿波の狸合戦』になるけどいいですか」宮崎監督は一瞬、ためらった様子を見せましたが、気持ちの切り換えの早い人です。気を取り直すと、条件をふたつ付けました。
「狸に敬意を込めて描いてほしい。それと、絶えて久しい『哄笑』が欲しい」(劇場用パンフレット)
高畑は簡単には引き受けず
そこで鈴木は、さっそく高畑に監督を依頼したが、高畑は簡単には引き受けなかった。鈴木から企画を提案された時の考えについて、高畑は次のように振り返っている。
『タヌキをやらないか』と言われ、ヒントとして宮さん(宮崎駿)や鈴木プロデューサーが心酔している杉浦茂さんの『八百八だぬき』を見せられた。ところが全然理解できない。何か深い意図があったのでしょうが、ぼくはカンがニブいもんで分からなかった。(『アニメージュ』1994年3月号)
じつは、ぼくは前々から、講談調の民話『阿波の狸合戦』が好きで、こんなにアニメーションが隆盛を誇っているのに、狐や狸の化け話など、基本的な民衆的想像力を表現しているものを何故やらないのか、業界の怠慢ではないか、などと大げさな主張をしていたことがあったんです。たしかに今ハヤリではないけれどアニメーションでしかできない題材だし、やっておく責任があると。名作の『おこんじょうるり』などとはちがった、一種の『ほらばなし』としての魅力の方のことなんです。ですから、『阿波の狸合戦』をベースにした井上ひさしさんの『腹鼓記』も読んでいましたし、狸をやりたくなかったと言えば、ウソになります。しかしまさかジブリが取り上げる題材とは思っていなかったし、どんなものにすれば『もの』になるのか皆目見当もつかない。考えはじめてしばらくして、簡単に降参したんです。ぼくには無理だと。(同前)
2023.07.29(土)
文=集英社新書編集部