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実は松本さんは無類のゲーム好き
「1970年代の後半、78年とかその辺だったと思う。当時、インベーダーゲームが大流行して、その喫茶店にはゲーム機が置いてあるから通いつめていたんだ。当時ぼくは太田裕美のアルバムをつくっていたと思う。その頃、ソニーのスタジオが六本木にあったから、気晴らしで通ううちにハマっちゃって。幼かった娘もよく連れて行ったんだ。娘はめきめき上達してギャラクシアンが得意になって。後ろにギャラリーができたほどだったんだ」
意外に思うかもしれないけれど、実は松本さんは無類のゲーム好き。スペースインベーダーから始まり、ファミコン、スーファミ、プレステといった家庭用ゲームはもちろん、オンラインゲームにめちゃめちゃハマっていた時期もある。
「そんなときに、細野(晴臣)さんに久々に会ったんだ。その喫茶店で。たぶん、細野さんが東京に戻ってきたからお茶でも飲もうよってことだったと思う。細野さんは、一時期狭山に住んでいたから(注:埼玉県狭山市の通称“アメリカ村”のこと。旧米軍基地のそばにあり70年代はミュージシャンやイラストレーターなどアーティストが数多く住んでいた)、あんまり頻繁に会わなくなった時期があったんだ。
バンドの解散でギクシャクしていたこともあったと思う。ただ、細野さんに、初めてのソロコンサートをやるからそこで新曲をやりたいから詞を書いてくれと言われ、書いて渡したりもしていていて。細野さんって、詞先で曲をつくるのが得意な人。はっぴいえんど時代は特に、ぼくの詞がないと曲ができないとよく言ってたんだ。だから、口をきかなかったのはほんの半年ぐらいのことだったと思う。そのときの詞が曲として完成したのは、それから四十数年後の2015年だけどさ」
稲光り ストロボみたいに
闇に白い顔の静止画
言いかけたこと呑みこんで
走る雨雲を君は目で追う
街は驟雨 通りは川
夜空に光る糸
巻き取る観覧車
街は驟雨 通りは川
ぼくらの日常は
壊れた幻灯機
「驟雨の街」細野晴臣
(作詞:松本隆 作曲:細野晴臣)
松本さんが細野さんと出会ったのはいまから半世紀以上前の1968年、慶應大学に入る直前の春休み。高校時代に結成したアマチュアバンドの活動に本腰を入れるため、立教大の天才ベーシストと呼ばれていた2歳上の細野さんに松本さんが声をかけたのが始まりだった。その後、細野さん、大滝詠一さん、鈴木茂さんとともにロックバンド「はっぴいえんど」を結成。70年にメジャーデビューを果たし、『はっぴいえんど』『風街ろまん』『HAPPY END』の3枚のアルバムを出して解散。73年、ドラマー兼作詞担当だった松本さんは、職業作詞家へと転身した。
2023.07.16(日)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖