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「アルバム3枚分くらいがぼくらにはちょうどよかった」

「バンドってそういうものなんだ。何年も一緒にやってるとお互いの顔を見るのもイヤになる、そういう時期が必ずやってくる。それぞれのやりたいことにズレも出てきちゃうし。はっぴいえんどの場合は、ぼくの言葉でみんなを縛っている部分もあった。ぼくが書く詞をもとにみんな曲を作ってたからね。だから、アルバム3枚分くらいがぼくらにはちょうどよかったんだと思う。

 で、件の、インベーダーの喫茶店で久々に再会したとき、細野さんが言ったんだ。『坂本(龍一)くんや(高橋)幸宏と一緒に新しいバンドを始めるんだ』って。『どんなバンドをやるの?』って訊いたら、『こういう音楽。インベーダーみたいなやつ』って。それはつまりYMO、イエロー・マジック・オーケストラのことなんだけど、ぼくに細かく説明するのがめんどくさかったんだろうね」

 ちなみに、細野さんも当時はゲームにハマりゼビウスが得意だった、と松本さんは言う。

「インベーダーゲームのあった喫茶店のすぐそばに、六本木の中華料理店『東風(トンプウ)』の支店のカフェがあって、そこにはゼビウスの筐体が置かれていたから、細野さんはよくそっちに入り浸っていた。だからもしかすると、YMOの話を聞いたのは『東風』だったかも。どっちでもいい話だけど。ただ、年を取るとそんなささいなことばかり思い出してしまうんだ」

 すると、突然空から大きな音が降ってきた。

「うわあ、飛行機だ。すごく低い場所を飛んでない?」

街角にぼくはひとり
ぽつんと佇み
ビルとビルの隙間の
空を見てたら

空飛ぶくじらが
ぼくを見ながら
灰色の街の空を
横切っていくんです

「空飛ぶくじら」大滝詠一
(作詞:江戸門弾鉄 作曲:多羅尾伴内)

 10年ほど前から京都と神戸に拠点を置き関西暮らしをしている松本さんは、羽田空港を離着陸する旅客機の飛行ルートが変更され、東京ど真ん中の上空を頻繁に往来するようになった日常を経験したことがない。「空飛ぶくじら」が現実になっちゃいましたね、と冗談を言うと、松本さんは笑った。「青山・西麻布から白金方面へ。ぼくんちから細野さんちへ回遊してるんだね」

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2023.07.16(日)
文=辛島いづみ
撮影=平松市聖