浅田 そこを補っているのが、本筋の合間に入ってくる数々のショートエピソードの面白さなんですよ。これがあるから、学者肌といっても頭で書いた小説という感じはしない。テーマには寄与しないような、どうでもいい話なんだけど、ぽいっと放り込んである話がどれも読みごたえがありました。大長編をスーッと読ませる推進力にもなっているし。

 小川 書いていて一番楽しい部分でした。

 浅田 以前に直木賞候補になった短編集『嘘と正典』を読んだ時は、まず名刺をもらったなという印象で受賞には至らなかったんだけど、すごく心に残った。短編はぜひ書き続けるといいと思いますよ。そのぶん長編も必ず面白くなるから。

 小川 長編を書く時でも、だいたい原稿用紙50枚が一呼吸なんです。バッと潜って一気に進んで、また浮上するまでが50枚。短編なら一呼吸で完結させるし、長編なら潜りと浮上を繰り返して、その間に次に繋がりそうなものをどんどん出して、かつ前に出したものを拾いつつ、みたいに進んでいきます。なので書き方に差はなくて、長編か短編かというのはテーマによって明確に分かれている気がします。書き進めないと全景が見えてこないものは長編で、自分の中で最後まで見通せているものが短編、というイメージです。

 浅田 確かに、短編は書きながら考えるものじゃないな。書く前に頭の中でだいたい出来上がっている。

 小川 それをいかに正しい精度で出力できるかに挑んでいる気がします。

 浅田 対して長編は、とうとうと流れて、ゆったり成長するのが醍醐味。

 小川 取り組んでいる時の楽しさの質が違うというか……。

 浅田 鑑賞の仕方も育て方も、短編は花、長編は樹に似ているかな。樹木を育てるには、近づいたり離れたりして全体を眺めながら、枝ぶりを矯(た)めつ眇(すが)めつしないといけない。結構疲れる(笑)。

『地図と拳』はよく手入れされた樹だと思います。大きな壁画の製作とも似ていて、描く時は近視眼的に一点を見つめて絵筆を動かすけど、しょっちゅう後ろにさがって全体を確認して、また近づいて細部に手を入れる。遠目から見たバランスと部分ごとの最適を両立できないと、ゲルニカは描けませんから。相当何度も自分で読み直したでしょう。

2023.07.03(月)