「ラクして得たものはつまらない」
フリーアナウンサー大橋未歩、登山で
目覚めた幸福感。今、渡米する理由

不自由のない旅にいつも虚しさを感じていた

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――重い荷物を背負って歩き、トイレもお風呂も山小屋以外にはほとんどない。本格的なロングトレイルは大変なことも多いですよね。

　ニュージーランドは道に迷ってしまったのが怖かったですね。樹海と同じように方角が分かなくなる不思議な場所。森から出すまいとしているような不気味さがあるんですよ。「あの山は一番人が死んでる山だよ」と下山してから現地の人に聞いて、妙に納得しました。

――苦労をしてもまた行きたくなる。それはなぜなんでしょう。

　すべてが行き届いた贅沢な旅から帰ってくると「なぜか虚しい」と思うことがよくあったからですかね。旅が終わり、現実に戻されると、次の休みはもっといいホテルに泊まりたいと思う。これっていつまでも満たされない無限地獄なんですよね。

　一方で、辛い思いをした旅ってそのときは大変なんですが、思い出すと愛おしいなと思うんです。幸せは「自分のなかで沸点を下げることでしか得られない」気がして。辛いことがあればあるほどちょっとした、ささやかなことに喜びを感じことができる。

――例えば、どんなことに？

　ジョン・ミューア・トレイルに行ったときは5日間、食事がずっとフリーズドライで、途中で耐えられなくなり、お肉が夢に出てくるようになってきたんですよ（笑）。ハンバーグの夢を見たのは人生で初めてでした。

　その後、下山したときに食べたスペアリブやビールのおいしさが、何ものにも代えがたかった。苦労して火をおこして暖をとるとか、今日のお風呂は川じゃなくていいんだと安堵感や喜びを感じるとか。山で過ごしていると、幸せを感じやすい体になっていくんです。

　結局、日常を生きることが人生。その日常がより楽しめるほうが豊かになれる。だからまた山に行きたくなるんです。

――都会の暮らしでは使っていなかった潜在的な力も鍛えられそうですね。

　確かにそうです。雨が降りそうなときの空気の匂い、土の香りに敏感になったり、晴れているんだけど雲が厚いから天気が崩れるかもと思ったりして、よく空を見るようになりました。

　山で道に迷ったときも、自分は野生だと言い聞かせて集中したら、木に隠れていた道標のオレンジのマークが見えたり（笑）。自然災害や地震がこれだけ増えているので、危機管理能力を取り戻さなきゃいけないと思いますね。

不安は最高。苦労をするためにアメリカへ行く

――この8月から拠点をニューヨークに移されますが、それはどんな思いからなのでしょう。

　私も夫も海外で暮らしたことがなかったので、一度住んでみて、いろんな人生経験をし、自分の知見を広げたいと思ったことが大きいです。

――大橋さんは「安定が苦手」と聞きました。だから挑戦を続けるのでしょうか。

　安定が怖いというのは確かで、ラクして手にしたものはつまらないというのが自分の中にありますね。挑戦というほど立派なものではないけれど、より楽しく、自由であることに対してはわがままというか。

――不安はないんですか？

　まったくないです。不安といっても命まで取られる不安とは別なので、ある程度の命の保証がされているなかでの不安は最高だなって。買ってでも不安な思いをしたい。苦労をしに、あたふたしに行きたいです。とにかく動いてみる。攻めは最大の防御だと夫とは話しています。

――山歩きも楽しみですね。

　アメリカで生活したら絶対にしたいことのひとつです。途中で下山したジョン・ミューア・トレイルの続きもやりたいし、カナダの山にも行ってみたいです。

――トレッキングをやってみたいと思っている人にアドバイスをお願いします。

　美しいものが好きな人だったら、誰でも惹き込まれると思います。私は職業柄、いろいろな美人さんとお会いしてきましたけれど、自然の美しさにはやっぱり叶わない。花や緑の色彩や、岩の模様など、人間の想像を超えるきれいな姿を見せてくれます。

　ジョン・ミューア・トレイルでは“お気に入りの湖を見つける”というのが楽しくて。透明度の高いエメラルド色の湖をひとり占めできる時間は、本当に贅沢でした。天女が空から注いだような、神秘的な美しさ。CREA WEBを読んでる方たちにも“神が作った美”に触れてほしいですね。

2023.06.18(日)
文＝CREA編集部
写真＝榎本麻美
ヘアメイク＝根本秀子