人生を通してテーマとなっているものが三つあります。科学、ソーシャルジャスティス(社会正義)、そして人間が大好きだということです。振り返るとこの三つのテーマがちょうど重なった部分が小児精神科医という職業だったのだと思います。

 私が生まれたときに母は医学部の4年生でした。幼少の頃の思い出として覚えているのは、母が医師国家試験のために猛勉強する姿、その後は研修医として駆け回っていたこと。大抵保育園の中で一番最後だったお迎えのあと、母とスーパーに寄って「今日の夕飯は何にしようか」と話したこと。たまにどうしても保育園に行きたくないと訴え、母の病院に付いていき、医局にあった箱庭療法の砂や人形で遊んでは他の先生に声をかけてもらったこと。

 分子生物学者の父は、母の国家試験と同時期に博士論文を書いていて、大人は皆勉強しているものだと思っていたこと。父が仕事の後いつも急いで文字通り走って帰ってきていたこと。母の当直の日は、スポーツマンの父からサッカーや野球など様々なスポーツを教えてもらったこと。まだまだ「女性の医師」も「働くお母さん」も珍しかった時代に母が医師になる姿を見ることができただけでなく、その母をこよなく愛し、自分のキャリアも前進させる父、そんなカップルに育ててもらえたことが、どんなにラッキーだったことか、当時の私は全く知りませんでした。

 父の研究のために、小学校入学前にアメリカに引っ越し、小学校時代はアメリカ、スイス、日本の3か国で5回の転校を重ねました。誰にでも合う生い立ちではなかったと思いますが、きっと両親は私の性格や反応を見ながら引っ越しや転校の判断をしてくれたのだと思います。

 私は幼い頃から「人」が大好きでした。違う国に引っ越して転校する度に新しい友達を作る機会にワクワクし、様々な人と会話をするのが好きでした。また、人間がどのように感じて考えて行動に出るか、そんな人間がたくさん集まってできる社会では、グループとしての動きがどう生まれるのか、ということを考えるのも好きでした。人間が何かを感じたり考えたりするのを司っているのが脳という臓器です。その脳がどんな働きをしているかを知りたいと小学生の頃に強く思ったことも覚えています。

2023.05.19(金)