犬が、いや動物というものが持つ力を、私はなんとなくだが信じている。人間には、理解はできないものだろう、とも思っている。
その不可解なものが、少しずつ小説の文章になっていく。それはできないという思いと、なにか近づいてくるという感覚が、交錯する。
犬の持つ力を、人間が理解できるわけがない。しかし、感じることはできる。その感じを、小説として描出することもできる。
そう思いながら、読了した。
全篇に登場する多聞は、果しているのだろうか。人と触れ合う時の多聞は、間違いなく存在している。毛並み、よく動く尻尾、仕草、そして眼ざし。ほんとうに、多聞はそこにいる。
しかしどこか、幻と見えないこともない。人生でなにかを抱えた人間が、思いをこらし、それを別のものに仮託した。小説では、それが犬の姿として描かれている。
そう読むと、この小説は深い。凡百の動物小説とは違う、複雑な小説性を持っているのだ。ノアール小説から出発した作者の、これまでの軌跡さえ、読み取ろうとする者が出てくるのではないか。
作者自身にとっても、この作品がひとつの転換局面になったのではないだろうか。ここでもう一度、大きく変貌していく、という予感が私にはある。変貌を遂げる時の小説は、なぜかやさしく、そして色濃く作者の気配を感じるものである。
これは、直木賞受賞作となった。
それにしても、作者は、犬の力をどこまで信じているのだろうか。長い長い人間と犬の歴史の中で、生まれてきてしまったなにか。人と犬の間を象徴する姿として、作者は多聞を書きあげている。
完全に理解しなくても、書くことはできる。なぜなら、作家は描写という力を持っているからだ。この短篇集、および連作短篇集は、その描写によって生まれたものである。
動物小説という範疇を軽く超え、新しい小説としての普遍性を獲得したものになった、と私は思った。
2023.04.21(金)
文=北方 謙三(作家)