この作品は、七つのそれぞれにほとんど関係のない人生を描いた、出色の短篇集と見ることができる。同時に、多聞という犬を中心にした連作短篇集という、巧妙な二重構造を持っているのだ。
そして多聞という犬の生涯が、最後の一篇で繋がる。五年間の旅が、しかし読む者にとっては哀切で痛烈でさえある。多聞ではなく、多聞に関った人間たちの人生がである。人の物語を読んだのだ、という思いが私には強く残った。
作者は、『不夜城』という、ノアール小説でデビューした。寵児であった。寵児が作風と合っていたかどうか、うまく分析できない。
眼をつぶって疾走するように、書きまくるということを、この作家は慎重に避けたのかもしれない。やがて作風は、徐々に変貌しはじめた。それは作家としてあたり前のことで、どう変貌していくかが、問題だということになるだろう。
その変貌の一部を、私はある文学賞の候補作として読み続けることになった。変貌に、いいも悪いもない。どういう作品が出てくるかであろう。そして、ノアールのころの、硬質なものが消えていくのを感じた。代りに獲得したものがなんだったのか。物語性だったのか。これまでより深い、人間の描写だったのか。
実際、本書を読むと、物語性も人間の描写も獲得しているように思える。
人は、深い思考の中で、日々を送っているわけではない。たとえば『少女と犬』という一篇は、自殺願望を持った少女が犬に出会うことで、日常の中の大切なものを見つけ出すという話だが、ストーリーの展開に、微妙な緊張感があり、それが少女の感覚を深いものに感じさせていく。再生を扱ったこの一篇が、私は好きだった。次の『娼婦と犬』では、次第に哀切さが強まってくる。哀切さも、ありふれた情念だが、ひとつひとつの哀切さが、それぞれに人の心を動かすということがわかる。通俗にまみれたものの哀切さであろうと、悲しみであろうと、人生の真実を閃光のように見せたりするのである。
2023.04.21(金)
文=北方 謙三(作家)