「身体の中で何かが弾けました」娘を乗せて車を運転中、何も見えなくなり…“医者嫌い”の私がくも膜下出血と診断されるまで から続く

 2009年11月、突然の激しい頭痛に襲われたコラムニストの清水ちなみさん。「くも膜下出血」と診断され、開頭手術を行ったものの脳梗塞を発症。失語症と利き手である右手に麻痺が残りました。

 ここでは、清水さん自らがパソコンのキーボードを一文字一文字打って闘病について綴った『失くした「言葉」を取り戻すまで 脳梗塞で左脳の1/4が壊れた私』より一部を抜粋して、「お母さん」と「わかんない」の2語しか話せなかった手術直後の様子を紹介します。(全2回の2回目/1回目に続く

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「これは夢ではない!」手術直後の記憶と記録

 目が覚めると旦那がいました。

 手術当日から4日後の朝、集中治療室にお見舞いにきてくれた旦那は、私と目が合った時のことを日記に書き残しています。

《12月8日(火) 脳を休めるために使っていた鎮静剤を止めたので、見舞いに行くとすでに目を覚ましていた。左脳の4分の1が死んでいて、言語中枢その他に障害が出ることは覚悟していた。だが、彼女を見てすぐにわかった。私のことを認識している! 私はうれしくて泣いた。私の涙を見て、彼女も泣いた。》

 おおっ、これは現実だ。

 私は呼吸状態を管理するために気管挿管、つまり人工呼吸器のパイプを突っ込まれていてしゃべれないし、集中治療室の中にいるのに、何やらビニールのようなもので囲まれていました。これは夢ではない! でも、なぜか旦那の目は4つになっていました。単に私の目のピントが合わなかっただけですが。

 私が3日間寝ている間、旦那は大忙しでした。

 当時、子どもはまだ中学1年生と小学2年生だったので、旦那は仕事の合間に炊事も洗濯も掃除もすべてひとりでやり、子どもを学校へ行かせて、私のお見舞いにも毎日行かなくてはいけません。さぞかし大変だったことでしょう。

2023.03.14(火)
文=清水ちなみ