「何コレ!?」“もはやアスリート”な道端カレン(43)が驚いた「自在に体型を変える筋トレ・食事・睡眠のスゴさ」《40代でどこまで変われるか試したい》 から続く
福井県で育ったハーフの少女は、15歳でいきなり、世界的なモデルコンテストの日本代表としてデビュー。以来、道端カレンは90年代後半から2000年代までの女性誌をほぼ総ナメにし、活躍してきた。
しかし、本人は当時を振り返ると、《痩せているのが正しい》という不文律にずっと苦しめられ、数えきれないほどダイエットをしたという。
理想の体型ともてはやされるモデルが対峙していた「痩せの呪縛」とは、どんなものだったのか。(全3回の3回目/1回目を読む)
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![©文藝春秋 撮影/鈴木七絵](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/e/6/1280wm/img_e637ec281cc995e84a9afc770daf25dc117695.jpg)
「あっちの世界の人」になりたかった
――道端三姉妹は、お母様から「モデルになりなさい」と育てられたと聞きます。親の敷いたレールに乗るのは嫌だ、という反発心などはありませんでしたか。
![©文藝春秋 撮影/鈴木七絵](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/0/7/1280wm/img_072de82f2f3f728d5bb98cf6f0412ac182758.jpg)
道端 母はファッションが大好きで、私は物心ついた頃から、洋雑誌やテレビの『ファッション通信』などを見ていたんです。
当時は80年代後半で、“ビッグファイブ”といわれるスーパーモデルたちがワーッと出てきた頃です。彼女たちを見て、私は素直に憧れていました。
![ビッグファイブとは、スーパーモデルの中でもトップ・オブ・トップといわれた5名(リンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベル、クラウディア・シファー、シンディ・クロフォード、クリスティ・ターリントン)を指す。画像はナオミ・キャンベル ©時事通信社](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/d/e/1280wm/img_dea8eb1c0cd961221c03ade74bdf4b4e471328.jpg)
――モデルの世界は素敵だな、と。
道端 そうです。あの時代はすごい人たちが次々に現れた、夢のような世界だったので。保育園の卒園文集に「将来の夢はモデル」と書いたくらい、大好きでした。
当時はインターネットがなかったので、スーパーモデルの出る雑誌やテレビを必死で見て、「ああなりたい、あっちの世界に行ってみたい」と。
15歳で世界的なモデルコンテストの日本代表に
――では、自分から進んでモデルになったんですね。
道端 はい。1994年、福井に住んでいた15歳のときに、エリート・モデル・ルック(モデルエージェンシーのエリートが主催する、世界的な新人モデルコンテスト)に応募して、日本代表になりました。これが、私のモデルキャリアのスタートです。
2023.03.11(土)
文=前島環夏