――いきなり日本代表に。
道端 日本代表は私一人で、スペインのイビサ島のコンテストに出場しました。実は、ジゼルもブラジル代表で同じステージにいたんですよ。
その後、東京で2週間仕事、福井で2週間中学校……のように、東京と福井を行き来する生活になって。中3のときは学校に半分くらいしか行かず、教科書はほとんど新しいままでした。
――そして、中学卒業後に上京。
道端 はい。高校受験はせず、3月の卒業と同時に上京して、一人暮らしです。卒業式の翌日には仕事をしていた記憶がありますね。
ごはんは「残すのが当たり前」の衝撃
――その後のカレンさんの活躍は目覚ましかったですよね。
道端 モデルの仕事はスチールもショーも、両方大好きでした。10代では『Seventeen』(集英社)や『ViVi』(講談社)の専属をやったり、『mini』(宝島社)などによく出ていました。
――当時は90年代ですよね。やはり、ケイト・モス的な「細くて華奢」な体型を求められたのでしょうか。
道端 痩せているのが正しい、という時代でした。
長時間の撮影だとスタジオにお弁当が出るんですが、他のモデルさんは残すんですよ。それを見て「ごはんて、残すものなんだ……」と思ったのを覚えています。
――完食するモデルはいなかった?
道端 みんなほとんど残してました。「出された分、全部食べると太っちゃう」とか、「むくみやすくなるから」という理由だったと思います。
私はもともと、よく食べるほうだったんですよ。父がアルゼンチン人なので、実家で出る食事の量も多かったんですが、出されたものは全部食べていました。食べ物をわざわざ残す、という発想がなかったです。
「痩せねば…」食べ盛りの10代に止めたモノ
――ところが、モデルの世界に入ったら「残すのが当たり前」と。
道端 そうです。他のモデルさんたちを見て、そういうものなんだ……と。今思うと、同調圧力のようなものだったのかもしれませんが、15歳の私は素直に従うようになりました。
2023.03.11(土)
文=前島環夏