1社だけに依存する営業体制に危機が
しかし、その頃からJR内の立ち食いそば屋は資本関係が変わり、私鉄でも自社ブランドが確立していく。大手が参入するにつれて天ぷらは自社で揚げるという話が増え、系列内での天ぷらの調達に舵を切り始めた。しだいに売り上げは減少していったという。そして最大の危機が訪れる。平成10(1998)年に大船軒との取引が終了してしまう。
「この時が最大の危機でした」と岩田社長は振り返る。しかしここで諦めるわけにはいかない。同年に別のJR系「小竹林」本社に飛び込み営業し、わずか2か月後に取引を開始させた。
「奇跡としか言いようがありませんでした。その後がまた大変で、1度に11店舗、都内の八王子から、西は辻堂まで注文を取って大騒ぎでした。夜も寝ないで配達して働いていたのはこの頃です」と振り返る。
平成12(2000)年には東神奈川の「日栄軒」と取引を開始し、他店への販売も拡大していき何とか売上げが安定するまでに漕ぎつけることができたという。ただ平成20(2008)年にはJR系との取引は終了し、売上げは全盛期の約3分の1まで落ち込んだそうだ。
「新規に営業に行って契約しても、他が打ち切りになるという出入りの激しい状況が続いていた」と岩田社長はいう。
とはいっても、現在、神奈川県下でいえば、東神奈川駅の「日栄軒」、横浜駅の「鈴一」、桜木町の「川村屋」に卸しているし、東京都内でも文京区小石川の「豊しま」など十数店に卸している。1日2500~3000食を納品しているというから驚きである。そして後述するが、現在は卸だけでなく催事販売への方向転換を図っているという。
細かいニーズに応えることが大切
天ぷら卸というのはどんな仕事の流れなのか興味がある。立ち食いそば屋の朝はとにかく早い。そこで朝3時~4時頃に納品できるように計画するという。つまり、前日の昼間から夜早めの時間で天ぷらを揚げて粗熱をとる。その後梱包して委託配送業者が夜間の配送作業を行うというわけだ。
2023.02.27(月)
文=坂崎仁紀