この手紙からは、節約を心掛け、民衆の生活に気を配る人柄が滲み、「パンがなければ~」の言葉とは正反対のマリーの姿が浮かび上がります。

 マリー・アントワネットの食の傾向は、母マリア・テレジアとの10年にわたる往復書簡でわずかながら記されています。キナ・ワインという食前酒や滋養に富んだスープ、牛乳、ロバのミルクなどが登場します。キナ・ワインを除けば、どれも、健康に関わる料理や飲み物が挙げられています。また、菓子は本当に好きだったようで、出身国のオーストリアから取り寄せて食べていました。

 マリーの食生活を知るヒントが、ヴェルサイユ宮殿内にあります。18世紀のフランスでは田舎風の生活を楽しむことが一種の流行となり、マリーも小トリアノン宮殿の北端に人工の村里(アモー)を作ります。ここには農場や菜園があり、牛、羊、ヤギ、豚、ウサギが飼われていました。大麦やイチゴなどの果物も栽培されました。この村里で取れた牛乳やイチゴを客人に振舞って一緒に味わうのが、彼女のおもてなしでした。

 王室のしきたりや人づきあいに疲れた彼女は、ルイ16世からプレゼントされた小トリアノン宮殿でほとんどの時間を過ごしていました。気に入った人々を招き、お茶会や食事会を開いていたといわれています。

 この小トリアノン宮殿での夕食会の記録が残っています。マリー・アントワネットの夕食会では、約50品目以上の料理が客人にふるまわれました。そこで出た料理は後ほど紹介しますが、まずはヴェルサイユの国王・王妃がどのような食生活を送っていたのか、そして、フランスの宮廷料理がどのように発展したかをみていきましょう。

 

ブルボン朝の料理政策

 18世紀のフランスは、ヨーロッパの料理文化をリードする存在でした。

 ブルボン朝はパリのサロン文化や啓蒙思想、新しい習俗を海外にアピールする文化政策を進めており、この新習俗のなかに宮廷の食文化も含まれました。腕のいい料理人には活躍の機会と名誉が与えられ、フランスの料理文化は急速に成熟していきます。

2023.02.22(水)
文=遠藤雅司