「彼は、作家は無理だね。やめた方がいいと伝えるのが親切だよ」

 そうあっさり告げられた。

 この一言には、それまでも思い切り失望を味わって、すっかり失望慣れしているはずの自分でもさすがに茫然自失するものがあった。

 私は作家の息子であったし、大手の出版社で働いていた経歴も相俟っていかにもすんなりとサラリーマンから小説家へと転身したように見られがちだが、正直なところ、作家になるのには人一倍の苦労をしたと思う。結局、四十一歳のときに再デビューという形でこの世界に一歩を踏み出し、それ以降は曲がりなりにも筆で生活することができるようになったが、三十代の十年間は、書いては駄目、書いては駄目の繰り返しで、ひたすら意気消沈の日々だった。

 三十代の終わりに、ある大手の版元から長編の書き下ろしをやってみないかと誘いを受けた。長編の『僕のなかの壊れていない部分』も『すぐそばの彼方』もまだ日の目を見てはいなかったし、「鶴」も未刊のままではあったが、それでも乾坤一擲、これが小説家になる最後のチャンスだと自分でも腹をくくって、喜んでお引き受けすることにした。

 そうやって一年以上をかけて書き上げたのが、のちに実質的なデビュー作となる『一瞬の光』(角川文庫)だった。だが、この作品も注文を出してくれた編集者には、さんざん待たされた挙げ句に「とても出版できるようなものではない」とノーを突きつけられた。

「小説の世界は、あなたが考えているよりもずっとハードルが高いのです」

 受け取った感想の手紙にはそのように記されていて、今回もただ唖然とするしかなかった。

 しかし、このときばかりは「じゃあ、これはとりあえず他の作品同様にお蔵入りさせて、新しい作品を書こう」とはいかなかった。「一瞬の光」を脱稿した直後にパニック障害を発症し、とても筆を握れるような状態ではなかったのだ。

 そこで「一瞬の光」を集英社に持って行った。千枚を超える長編だったので、先方は「読むだけなら」と言って原稿を預かってくれたのだが、読んでさえくれれば気持ちも変わるだろうと信じていた。だが、結果は最初の版元の編集者と同じ。

2022.12.26(月)
文=白石 一文