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疲れて深夜に帰宅した際に自分が観たい番組を作りたい

――2009年に深夜バラエティ「極嬢ヂカラ」を手がけられています。これが初めて通った企画ですね。脱毛や美容・整形、ボディメイクや生理など、女性の欲望や悩みに焦点を当てた番組でした。

 テレビ東京でも他局でも、深夜番組は男性向けの番組が多いですよね。私も好きで楽しんでいるんですが、自分が深夜に疲れて帰ってきたときに楽しめるような番組があっていいんじゃないかと思ったんです。それで、昼帯やゴールデン帯ではあけっぴろげに言えないけど実はみんなが関心を持っているもの、欲望を追求するようなものがあったら観たいと思ってつくりました。

――当時でも画期的ですよね。それから13年が経過した今も、深夜バラエティは基本的に男性がターゲットだと感じます。女性向けのバラエティ企画はやはり通りづらい感触がありますか?

 それはあると思います。ADさんやAPさんには女性がすごく多いけれど、番組を演出するのは大半が男性です。どんな番組をやるか決める編成部もほぼ男性で、その中でも決定権を持つ人となると100%男性なんです。そうするとどうしてもその人たちが「わかる」ものが通りやすいですよね。

 テレビ番組もビジネスであって、仮に1本100万円の予算で平日の帯5日週放送すれば週で500万円、月で2000万、年だと2億4000万。これは結構な投資だと思います。それだけのお金を使ってきちんと結果を生み出せるのかを編成は考えているんだと思いますが、そこで「これは数字取れるのか? 売れるのか?」と見えないものは決断しにくいんじゃないでしょうか。

――その中にあって当時「極嬢ヂカラ」はなぜ通ったと考えていらっしゃいますか?

 番組を推してくれた編成の人がサラリーマン的じゃなかったんでしょうね(笑)。編成や営業、デジタル関連など各方面で「いや、これはやるべきです!」と高い熱量で推してくれる仲間がいたのがいちばんの理由だと思います。

――なめられたらアカン病にかかったままだったら、そうやって手を貸してくれる人が現れなかったかもしれないですね。

 そうですね。大して何も持っていないくせに、なめられたくないと思ってしまうところを捨てられたのは大きかったです。さらにその後、妊娠出産を経験して、また大きく変わったと思います。「極嬢ヂカラ」が始まって1年くらいたって、数字もわりと良くて話題になっているときに妊娠してお休みをいただいたんです。

 それまではコントロールフリークな部分があったんですよね。テロップの色味からフォントから音楽まで全部気にして、Vができた後も必要があれば編集を全部直したり。もちろん演出である以上、全部の決断をしなければならないしその全てに責任を負うんですけど、スタッフも編集所もすごく大変だったと思います。

――“病”の名残があった。

 でも妊娠すると体調が良くないときも当然あって、そんなことをしていたら保たないんですよね。スタッフにも迷惑を掛けるし、番組のクオリティも落ちてしまう。実際、「旅嬢極嬢ヂカラ」(小泉今日子、マツコ・デラックス、YOU)の正月特番に向けて箱根にロケハンに行ったとき、すごい気持ち悪くなってしまって移動のたびに止まって吐いてたんですよ。そういう姿も今までは周りに見せたことがなかったけれど、「眠いです」「気持ち悪いです」「しんどいです」とさらけ出すことになりました。

――人間としての活動を見せざるを得なかったわけですね。

 そのときに、これまで知らなかったスタッフの力を知ったり、自分がいないことで新しいアイディアが生まれたりしていったんです。同期の女性にも、プロデューサーとして代わりに立ってもらいました。お休み中は番組のことが気になり、「自分の居場所がなくなっちゃうんじゃないか」と不安になることもありましたけど、そこで任せられたことで、戻ったときにチームが違うステージに入っていることを感じられましたね。そうやって番組作りを通して人に頼るようになったし、特にライフステージが変わるときはいろんな人のプラスを取り入れたほうが結果として良いものができるという発想に変わっていきました。

2022.12.21(水)
文=斎藤 岬
写真=平松市聖