大貫妙子、吉田美奈子、矢野顕子…70年代、ヤマタツがスタジオ仕事で顔を合わせた“最強コーラスチーム” から続く

#2より続く)

編曲は人それぞれやり方がある

——端正なプロダクションを研究することを通じて、曲を把握するコツをつかんだ。

山下「僕らの世代のアレンジャーだったら、たとえば瀬尾一三さん。ピアノが弾けない分、全部レコードを聴いて覚えたそうです。今、僕と一緒にやってるギターの佐橋(佳幸)くんなんかは、スタジオ・ミュージシャン時代、スタジオのアシスタントに小遣いを渡して、普通はもらえないアレンジ譜をもらって、それで編曲を勉強したと言ってました。人それぞれ、やり方があるんですよね」

——いずれにしろ、そうやって“盗む”と。

山下「そうです。というか、盗まないとダメ。僕の場合、ソロ初作の『CIRCUS TOWN(サーカス・タウン)』のアレンジャーだったチャーリー・カレロが、なぜかスコアをくれた。本来くれないはずのものなのに、なんか気に入られたみたいで。あれはどんな教則本より実践的な参考書でした。自分のレコードになってるんだから、かけがえがない。それで調子に乗って、次の『SPACY(スペイシー)』以降、自分でスコアを書き始めたわけです」

CMタイアップは“そんなにカネが欲しいのか”と言われがちだが…

——70年代末までCM音楽を多数手がけられたとのことでしたが、現在でもドラマや映画の主題歌など、広い意味でのタイアップ曲を手掛けられてますよね。

山下「厳密に言うと、僕はシンガー・ソングライターじゃないんです。作曲家、あるいはプロデューサーとしての好奇心のほうが大きいし、向いているとも思う。近松(門左衛門)のような、というと口はばったいけど、要は“座付き作者”ですよね。自分が前に出るより、誰かをバックアップして、その人の才能にプラスアルファする。そういう役回りにいずれは落ち着いていくんだろうなと、かなり後になるまで予想していました。ありがたいことに、今もって自分名義の作品を発表することができて、受け入れていただいてもいるんですけど。

2022.11.20(日)
文=真保 みゆき