そして渡米
――その後、90年代に入ってすぐアメリカに移住されます。渡米のきっかけは何でしょうか。
結婚です。東京で出会ったアメリカ人の男性と結婚しました。彼はグラフィック・デザインの仕事をしていて、11年ほど日本に住んでいたんです。その頃、日本はバブルで、海外向けの広告やパンフレットなどの仕事がたくさんありました。一方で、若い作詞作曲家さんたちも出てきて、私の仕事はだんだん減ってきていたのです。
そのタイミングで、「子供を持とうか。そして、子育てをするなら、日本よりアメリカの方がよいのでは」という話になり、アメリカに住むことにしました。
――日本の音楽業界でのキャリアには未練はありましたか?
ありませんでした。贅沢な話かもしれないけれど、作詞作曲家のポジションは、自分がそうなりたくて努力して得たものではなかったから。よく分からないままキャリアが始まってしまい、自分の中でも価値観を見極められないままで、今振り返るといい加減なところがありました。
――その後、音楽そのものからも離れてしまったのですか?
自分の本当に作りたい音楽は、誰に求められることがなくても作っていました。全く売れないタイプの音楽です(笑)。でも不思議なもので、80年代に盛岡夕美子名義で出した「余韻−レゾナンス」というピアノCDがあるのですが、廃盤になっていたのに、ベルリンのレーベルから2年前に再リリースされたんです。
この数年海外で、日本の80年代のシティ・ポップをはじめとしたレコードを発掘する動きがあるのですね。それで、とある音楽ブロガーの人が、私のピアノのソロを良いと紹介してくださって、スパイラルのようにレビューが広まったのです。それをきっかけに再発売され、思った以上の反応をいただきました。新しい流通方法ですよね。
実はこの12月も、タイの音楽祭に呼んでいただいて、ピアノを弾くことになっています。Webサイトを見るとレイヴミュージックの祭典のようで、みんな飲んで踊った後に、静かにクールダウンする音楽が欲しいから呼ばれたのかな、なんて思っています。
2022.10.16(日)
文=石津文子
撮影=深野未季