――夢が破れたと。

柴田 はい。それでも、やっぱり絵に携わる仕事をしたかったので、次は画廊で働いてみたんです。ただ絵の世界は本当に厳しいという現実を突きつけられて。ますます自分が絵で食べていくのは夢物語だと痛感して、半年で辞めてしまいました。

 それから3ヶ月くらいバイト生活をしていたら、学会で東京に来ていた父親に「君は何をしたいの?」とボソリと聞かれたんです。それでムカついて、まずはどこかの会社に就職しようと思って、リクルートのイラストレーターの採用試験を受けに行きました。

 

――その当時は漫画家になる予定なんて、一切なかったわけですね。

柴田 全然! 会社に入って、結婚して、家庭を持つ……自分ではそんな予定でしたね。でも23歳のとき、真剣に結婚を考えていた男性を寝取られてしまって(笑)。

 でも、もしその相手と結婚していたら、漫画をたくさん描くような人生はなかったでしょうね。『パプワくん』も全7巻じゃなく、1巻で終わっていたかもしれない。出版社のエニックスとは当初、「6話で終わる約束」だったので。人生、どう転ぶかわかりませんよね。

総部数600万部! 通帳の数字だけが増える生活

――アシスタント経験もない柴田さんが、いきなり漫画家になれた理由は?

柴田 会社勤めを始めた頃、ずっと連絡を取っていなかった漫画家の友だちに「今はイラストレーターとして、ちゃんと会社に勤めているよ」と暑中見舞いを送ったんです。

 後日、その友だちから「亜美ちゃん、ゲーム好きだよね。今エニックスでゲームの4コマを描ける人を探しているみたいだよ」と執筆陣の一人として私を誘ってくれたんです。それがきっかけで「ドラクエ4コマ」を描くことになりました。

――1991年、ついに『パプワくん』で本格デビュー。元々、漫画を読むのは好きだったんですか?

柴田 松本零士先生とか永井豪先生の描く世界が大好きでしたね。少女漫画なら池田理代子先生や萩尾望都先生。描けるんだったら、そっちの世界に行きたかったですよ。でも私のタッチは、どちらかと言えば少年漫画向けだったから。

2022.09.26(月)
文=吉河未布