NHK連続テレビ小説『あんぱん』は、“アンパンマン”を生み出したやなせたかし(北村匠海)と小松暢(のぶ・今田美桜)の夫婦をモデルに、二人の人生を描いている。ノンフィクション作家の梯久美子さんによる『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)から一部を抜粋。1988年、“最大の危機”ともいえる「妻への余命3か月の宣告」を夫婦はどう乗り越えていったのか。(全2回の1回目/後編に続く

◆ ◆ ◆

余命3か月の宣告

 アニメのアンパンマンは、誰も予想しなかった好調なスタートを切った。グッズがほしい、いつビデオになるのかなど、テレビ局には問い合わせが殺到した。クリスマスの時期が近かったので、予定になかったクリスマス編を制作したり、年末年始に向けて大急ぎでグッズを企画したりと、嵩の周囲は一種の興奮状態にあった。

 だが、監督の永丘の目から見た嵩は淡々としていて、15パーセントという高視聴率が出たときも、いつもと変わらなかった。

 実はこのとき、嵩の心は誰にも言うことのできない不安と後悔でいっぱいだった。妻の暢ががんと診断され、余命宣告を受けていたのだ。

 1988(昭和63)年の秋、アニメの放送が始まる前後に、暢が体調をくずした。胸に異物感と痛みを感じるという。

「オブちゃん、すぐ病院でみてもらったほうがいいよ」

 嵩は言った。オブちゃんとは、嵩がそう呼んでいる暢の愛称である。

 暢は「そうするわ」と答えたが、それまで病気とは無縁だったこともあって、病院へ行くのを一日延ばしにしていた。嵩もそれほど重大に考えず、忙しさにかまけて、病院にひっぱっていくようなことはしなかった。

 1か月ほどして近くの東京女子医大病院に行くと、乳がんであることがわかり、即日入院となった。そして12月、両方の乳房を切除する手術を受ける。手術後、担当医に呼ばれた嵩は、全身にがんが転移していることを告げられた。

「肝臓にも転移しています。お気の毒ですが、奥さまの命は長くてあと3か月です」

 医師が指したレントゲン写真の肝臓の部分には、ぼんやりとした影があった。

 全身の血が冷たくなって、深い穴に落ちていくようだった。嵩はふらつく足で屋上にあがった。

 オブちゃん、ごめん。ぼくが悪かった―。暢がやせてきて、頬にシミができたことは気になっていた。なぜもっと早く、無理にでも病院に連れて行かなかったのか。暮れていく冬の空を見ながら、金しばりにあったように、嵩はしばらく動けなかった。

 テレビアニメが始まって、嵩はこれまでにないほど多忙になっていた。暢のことは誰にも言わず、懸命に仕事をこなして、毎日病院へ行く。壮絶な手術に耐えた暢は、骨と皮のようになってベッドに寝ていた。もともと小柄なからだが、日ごとに小さくなっていくようだった。

2025.05.19(月)
文=梯 久美子